2011年8月29日月曜日

島田神助の引退に思い当たる事

あれからもうすぐ一週間ぐらい経つのだが、日本のニュースやワイドショーは相変わらずこの話なんだろうか?それとも、いい加減ほとぼりも冷めたといった感じなのだろうか?

ところで、今回はこの事について私なりに思い当たる事を書く事にする。ちょっと長いので興味のある人だけどうぞ。


で、一応、ネットで集めた情報によると、島田神助は10数年前、とあるトラブルを友人Aさんの知り合いの暴力団関係者Bさんに解決してもらった。その後、せいぜい5回ぐらいしかこのBさんとは会っておらず、親密な関係という訳ではないのだが、その事が発覚し、それは芸能界のルール違反で有ると知らせれ、その責任を取って引退する事にした。


え?たったそれだけ?


って普通の人は思ったかもしれない。

記者会見では吉本の若い人などに示しがつかないとかなんとか言ってたけど、本当にそれだけ?

後から流れて来た報道によると、写真や手紙も発見されたっぽいようなこともあるから、若い人云々は建前上の理由で、本当は暴力団ともっと深い関係を持っていてそれが明るみに出る前に引退してとりあえず「逃げた」のでは?

って思ってる人もいるかもしれない。

だいたい、若い人に示しがつかないのなら、6年前の障害事件の方がよっぽど示しがつかないような気もする。これが2ヶ月の謹慎ですんだのだから、今回だって、さすがに引退までしなくても、って思う人もいるかもしれない。

それとも、6年前にも問題を起こして、これが二度目だからさすがにまずいと思って引退したのかも?ってな憶測もあるかもしれない。



が、私はそのどれもが正解とは思わない。



おそらく、暴力団関係者との繋がりは会見で述べた通りのような気がする。本人が否定していた写真が出て来たとの報道があるが、おそらく報道が間違っているか、本人が写真を一緒に撮ったことがあったのをたまたま忘れていたかどちらかで、たいした問題ではないように思う。手紙に関してもまた同様。



でも、会見では島田神助は本当の事は言っていない



と私も思っている。



その事を書く前に、テレビで言っていた(っていうか私の場合はYouTubeで見た)島田神助とBさんとの関係を詳しく書いてみる。


そもそも、島田神助は10数年前、芸能界を引退しなければならないと考えるほどのトラブルに遭遇した。周りの人間に相談しても、だれも助けてはくれなかった。それを解決してくれたのが友人Aさんの知り合いの暴力団関係者のBさん。

その時まで、島田神助とBさんは何の面識も無かった他人同士。

そんなBさんが、たとえ暴力団関係者ではあるが、芸能人としての人生が終わってしまうのではないかというほどの境遇に追いやられた島田神助を救ってくれた。

このBさんは、島田神助が芸能人だったから何らかの見返りを期待して助けてあげたのだろうか?

否。

このBさんが島田神助に言ったことは

「一切の恩を感じる必要はない」

と。そしてさらには

「芸能界と暴力団組織の人間が会うことは、あなたにとってマイナスだから、会ってはならない。心が通じ合っていればそれでいいじゃないか。」

ヤンキーあがり島田神助はこの事に心を打たれたと言っていた。そして、このBさんにその後数回ほど会った事はあるが、親密な交際をする訳でもなく、でも感謝の気持だけは忘れる事無く、その後、島田神助は芸能人としての至福の期間を過ごして行く事になったのである。


もし仮に、島田神助が引退ではなく数ヶ月間程度の謹慎処分を受けたとしたら、それはどいうい事を意味するのだろうか。

謹慎するという事は、このBさんとの関係を反省し、これを悪行であったと認め、もちろんBさんとその後の関係を一切断ち、謹慎後からまた芸能活動に復帰すると言う事。

それはすなわち、Bさんとの「心と心の繋がり」をも断ち、感謝の気持ちも忘るということ。

そんな事ができるだろうか?

Bさんが、ほんのちょっとしたトラブルを解決してくれた、といった程度なのであればそれも可能かもしれない。

しかし、芸能界を去ろうと考えなければならないほどの大ピンチを救ってくれた人物である。

島田神助は会見で「もし今度Bさんを町で見かけるような事があれば、遠くからでも感謝の意を込めて頭をさげます」といったような事を言っていた。

人生に一度あるか無いかの大ピンチを救ってくれた人物。仮にその人物が暴力団関係者であっても、その人への感謝の気持を捨ててまで芸能界で生きながらえようとは思わない。そういう思いが、島田神助の心の中を駆け抜けた結果の決断だったように私には思える。

でも、島田神助は記者会見ではこのような事を引退の理由としては上げていない。

おそらく、言えなかったのではないかと私には思える。



で、なぜ私がブログでこんな事を書いたかって?


それは、私にも似たような体験があるから。


私は今からちょうど14年にアメリカに渡り、その後、数学に出会い、少しずつ、少しず〜つ数学者への道を歩み続け、現在のところまで辿り着いた。

その間、一度だけ、そう、たった一度だけではあるが、数学の世界を去らなければならないと考えた事があった。

その時は本当に絶体絶命の大ピンチであり、もはやどうにもならないのではと思うような境遇に追いやられたのだ。そして本気で数学者以外の道を模索し始めたのだった。

才能とか努力とかではどうにもならないような、自分ではどうする事も出来ないような厳しい状況というのは起こりうるものだと思い知らされたとでも言おうか。

一流の水泳選手であっても、大海に浮かぶ小さな孤島に一人取り残されたら、泳いでそこを脱出することなど不可能である。

あの時はまさに、そんな感じの境遇であった。

数学者としての人生は完全に詰んでしまった、と覚悟を決めなければならないのではと考えていた。そして周りには助けてくれるような人など誰もいなかった。

が、そんな時、全く想像もしていなかった所から助けの手を差し伸べてくれた人物がいた。しかも、この時点で私とその人物との間には一切何の面識も無かったのだ。


孤島に取り残され死をも覚悟した私の前に突然現れた一隻の船とでも言うべきか。


この時のこの人物の助けが無ければ、私の数学者としての人生はもうとっくの昔に終わっていたのである。

そして、それだけでなく、この人物から「お前を助けてやったんだ、ありがたく思え」的な恩着せがましい態度など一切なく、さらにはその後の私の事も十分に考慮してくれるような振る舞いをも見せてくれたのだ。

って、その人物はどこの誰で、具体的にはどんな事があったのかって?

それはこんなブログでさらっと書けるような事ではないし、それどころか親しい友人や親兄弟にだって話すことだってできない、そのぐらいの事。

とにかく、もし仮に、私がこの人物との心と心の繋がりをも断ち、感謝の気持ちをも捨てなければ数学者として今後生き残れないということになれば、私は数学の世界を去る方を選択するであろう。

そうまでして数学者として生き長らえたいとは思わないから。


孤島に漂流し死を覚悟した時に現れた船。その船に対する感謝の気持ち捨ててまで生き続けられる人間がこの世に何人いるだろうか?仮にその船が麻薬の密売船や人身売買の密航船のような類いのものであったとしても。


そう考えると、島田神助の今回の決断は私には十分に理解できるのだ。


でも、自分の地位や名誉や成功といった長い時間をかけて築き上げてきたもの全てよりも重い感謝の気持ちを持てる人物。親とか兄弟とかというのではない他人でそんな人物に一生のうちに一度でも出会えた人というのは極めて幸せな人だとも思っている。

ただ島田神助にとって「幸い中の不幸」はその人物が裏の世界に属していただけで。


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なんだか熱いです。

謎の数学者 さんのコメント...

匿名さん。コメントありがとうどざいます。

はい、熱いです。