ピラミッドを目指して、エジプト国境に到着。
日本を含め多くの先進国のパスポートを有する場合、エジプトへ観光で入国する際は、あらかじめビザを取得する必要は無く、飛行場や港や陸続きの国境で入国の際にビザを取得できる。これが所謂"Visa on arrrival"というやつである。したがって、たとえば日本からエジプトへ観光旅行に来る際にはビザのことは心配する必要はないのである。
そのつもりで、Eilatにあるイスラエルとエジプトの国境にやってきた......
が、なっ、なんと....
なんと、なんと、なんと、エジプトにある全ての飛行場、港、国境でこのVisa on arrivalが取得可能であるはずと思っていたのだが、たった一か所だけ例外があった....そう、それがこのイスラエルとの国境である。
うっそ?
って思ったけど、大マジ!!
という訳で、エジプトには入国すらできず?
と思ったのではあるが、エジプトへの観光ビザの代わりに、ここではシナイ半島のみであれば自由に観光ができる特別な入国許可がもらえるとのこと。
でも、シナイ半島にはピラミッドはない!!!
「ピラミッドが見たいならEilatにあるエジプト大使館まで行って、ビザを取ってくる必要がある。平日ならその日のうちにビザが下りる。」って言われたけど、「今は休日中で大使館は休日明けまで開かない。」とも言われた!!
という訳で、シナイ半島の観光で我慢する羽目に!!!!
結局ピラミッドには行けず!!!!
ガッカリである。
そんなこんなで、急きょ予定を変更。シナイ半島の南端シャルム・エル・シェイクを目指すことに。
エジプト旅行記第3部へ、つづく。
将来を嘱望された(かどうかは不明な)若手(?)数学者のブログ。アメリカの某大学でAssociate Professorなるポジションについています。数学者というあまり馴染みのない職業がどんなものなのか、ちょっとは分かるかも。あまり読者のことは考えずに書いているので、その点ご注意を。
2008年6月25日水曜日
2008年6月20日金曜日
エジプト旅行記その1~旅立ちの日
6月6日から9日にかけて(先々週)、イスラエルはちょっとした休日だった。Sefirahとかっていう休日らしく、Passover(参照記事)から49日目を祝う(?)ためのものらしい。例によって、イスラエルは休日になるとほとんど全てが閉まる。スーパーもレストランも、バスや電車まで...。つまり、
イスラエルにいても、やることがない!!
って、仕事をしろよ!!っていう天の声が聞こえてきそうな気もするが、せっかくの休日だから、ちょっとした「海外旅行」に。
イスラエルは、レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト、そしてヨルダン川西岸のパレスチナ自治区およびガザ地区と国境を接する国である。(ヨルダン川西岸とガザを「国」というのかどうかは議論の別れるところではあるが。)
そのなかで、現在イスラエルからの入国可能なのは、ヨルダン、エジプト、そしてヨルダン川西岸の三つのみ。(まぁ、こう見るとずいぶんのと敵に囲まれている国にいるなぁ~、という気もするが。)
で、ヨルダンはこの前行ってきたし、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区は入れるには入れるが、入ったら最後、命の保証はない。
そこで、消去法により(?)、今回はエジプトに行くことに。一緒に行ったのはイタリア人の友人Marco。6日の朝9時頃にBeer-Shevaからバスに乗って、イスラエルの南端にあるEilatへ。ここはヨルダン旅行の時にも行った場所で、エジプトへの入国もここから出来る。1時頃にEilatに到着。エジプト国境へ。
目指すは当然、ピラミッド!!
そしていざ、入国審査所へ向かったのである。....第二部へつづく。
イスラエルにいても、やることがない!!
って、仕事をしろよ!!っていう天の声が聞こえてきそうな気もするが、せっかくの休日だから、ちょっとした「海外旅行」に。
イスラエルは、レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト、そしてヨルダン川西岸のパレスチナ自治区およびガザ地区と国境を接する国である。(ヨルダン川西岸とガザを「国」というのかどうかは議論の別れるところではあるが。)
そのなかで、現在イスラエルからの入国可能なのは、ヨルダン、エジプト、そしてヨルダン川西岸の三つのみ。(まぁ、こう見るとずいぶんのと敵に囲まれている国にいるなぁ~、という気もするが。)
で、ヨルダンはこの前行ってきたし、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区は入れるには入れるが、入ったら最後、命の保証はない。
そこで、消去法により(?)、今回はエジプトに行くことに。一緒に行ったのはイタリア人の友人Marco。6日の朝9時頃にBeer-Shevaからバスに乗って、イスラエルの南端にあるEilatへ。ここはヨルダン旅行の時にも行った場所で、エジプトへの入国もここから出来る。1時頃にEilatに到着。エジプト国境へ。
目指すは当然、ピラミッド!!
そしていざ、入国審査所へ向かったのである。....第二部へつづく。
2008年6月16日月曜日
タイガー優勝!!USオープンを終えて。
US オープン(ゴルフ)が終わった。やっと終わった。最終日でも決着つかず、プレーオフでも決着つかず、プレーオフのさらにプレーオフでついに終結した。
こんな超接戦、生中継でみてたら大興奮だったんだろうな~。インターネットで見てたって、かなりエキサイトしてぐらいだから。しかも、去年まで住んでたSan Diegoの近くで、しかも、しかも、自分でも何回かプレーしたことがあるTorrey Pines Golf Course(参照記事)でのUSオープンだったからなおさらという気がする。
しかし、さすがタイガー。手術した膝が完治してないのに、足を引きずりながら優勝してしまった訳だから。もしベストコンディションだったら、圧勝だったんだろうか?とも思ったりする。
こんな超接戦、生中継でみてたら大興奮だったんだろうな~。インターネットで見てたって、かなりエキサイトしてぐらいだから。しかも、去年まで住んでたSan Diegoの近くで、しかも、しかも、自分でも何回かプレーしたことがあるTorrey Pines Golf Course(参照記事)でのUSオープンだったからなおさらという気がする。
しかし、さすがタイガー。手術した膝が完治してないのに、足を引きずりながら優勝してしまった訳だから。もしベストコンディションだったら、圧勝だったんだろうか?とも思ったりする。
2008年6月4日水曜日
ヨルダン旅行記最終回~ベドウィン体験
ヨルダン3日目。今日はぺトラではなWadi Rumへ。Wadi Rumとはヨルダンにある有名な砂漠のことなのだが、なんとここではベドウィン体験ができてしまうのだ。ベドウィンとは、基本的にアフリカ北部から中東地域にかけて昔から遊牧生活を送っている「砂漠の遊牧民」のことである。ヨルダンにも、イスラエルにも沢山いる。
でも実はここ半世紀ぐらいは多くのベドウィン達は遊牧を止め定住生活をしているらしく、たとえばイスラエルのベドウィンは基本的に全員定住しているらしい。
遊牧民、遊牧やめたら、ただの民、
などと思わず一句詠んでしまったが、とにかくこの日はそんなベドウィンのマネごとをするべく、Wadi Rum砂漠にやってきた。朝、ぺトラ付近のホテルを出て昼近くにWadi Rum到着。昼食と一緒にベドウィン紅茶とベドウィン音楽でもてなされた。
そして、こんな感じの「荷台」に乗り、いざ砂漠の中へ。

ちなみにこの車はTOYOTAだった。
この車で砂漠の中をひた走る。こんなところや、

こんなところ。

ちなみに、これは古代人の残した壁画らしい。

ところで、ベドウィンってどんな感じの人かというと、こんな感じ。

一応、念のために言っとくけど、左側に写ってる人がベドウィンである。ちなみに彼が運転手。と、そこで思った。「私もこうなったらベドウィンに変身しよう!」
という訳けで、変身!!

ちなみに、この頭にかぶるやつは、結構通気性がよく、なおかつ砂ぼこりをうまくシャットアウトしてくれる。きっとベドウィンたちが長年かけて編み出した砂漠で生きるための知恵なのだろうか、などと思ったりもした。結局この日はこれを一日中かぶってた。
そして、あっという間に夕方に。
もう結構薄暗いがもう一枚。

そして寝床に到着。そう、当然ベドウィンの体験をする訳だから、寝るのは砂漠の中の「ベドウィンテント」。
これが、テントの前の焚き火(?)って言うんだろうか。

そしてこれがテント。

もちろん、寝る前には夕食が出る。これがそのベドウィン料理(なのかなぁ~?)。

結構美味しかった。お腹が空いてたせいもあるけど。そして、寝るのはテントの中で寝てもいいけど、かなり厚手の布団を用意してくれたので、なんと外で寝ることに。上の写真の焚き火の周りで。ガイドのベドウィンさんも外で寝てたし、できるだけベドウィンのマネをした。
ところで、このベドウィンという人達は基本的に(少なくともつい最近までは)遊牧民。彼らはおそらく「領土」などという概念すら持たずに数千年の時を生きてきた人達である。そんなベドウィン達の基本的な考え方は、そもそも大地は神が所有するものであり、人間がいかに所有権を主張したところでそんなものは空言のようなもの。そんな考えだから、ベドウィンにとってはパレスチナ問題などは、くだらない争いごと。よって、イスラエルにおいても、ユダヤ人ともパレスチナ人ともそこそこ仲良く生活しているのである。
で私がこの夜を過ごしたのは、人口の光は何もないそんなベドウィンのテント。砂漠の星空を眺めながらそんなことを考えたりして眠りについた。
そして、夜明け。

もう一枚。

かなり清々しい朝だった。
このあと朝食が出て、車に乗りWadi Rum出口まで。そして、一日に一本しかない(らしい)バスに乗って、再びぺトラ付近のホテルまで。昼食を食べたあと、再びぺトラ見物。そしてこの夜はホテルにとまり、次の日の朝、イスラエルへ帰ったのであたった。
ヨルダン旅行記、終わり....。
でも実はここ半世紀ぐらいは多くのベドウィン達は遊牧を止め定住生活をしているらしく、たとえばイスラエルのベドウィンは基本的に全員定住しているらしい。
遊牧民、遊牧やめたら、ただの民、
などと思わず一句詠んでしまったが、とにかくこの日はそんなベドウィンのマネごとをするべく、Wadi Rum砂漠にやってきた。朝、ぺトラ付近のホテルを出て昼近くにWadi Rum到着。昼食と一緒にベドウィン紅茶とベドウィン音楽でもてなされた。
そして、こんな感じの「荷台」に乗り、いざ砂漠の中へ。
ちなみにこの車はTOYOTAだった。
この車で砂漠の中をひた走る。こんなところや、
こんなところ。

ちなみに、これは古代人の残した壁画らしい。
ところで、ベドウィンってどんな感じの人かというと、こんな感じ。

一応、念のために言っとくけど、左側に写ってる人がベドウィンである。ちなみに彼が運転手。と、そこで思った。「私もこうなったらベドウィンに変身しよう!」
という訳けで、変身!!
ちなみに、この頭にかぶるやつは、結構通気性がよく、なおかつ砂ぼこりをうまくシャットアウトしてくれる。きっとベドウィンたちが長年かけて編み出した砂漠で生きるための知恵なのだろうか、などと思ったりもした。結局この日はこれを一日中かぶってた。
そして、あっという間に夕方に。
もう結構薄暗いがもう一枚。

そして寝床に到着。そう、当然ベドウィンの体験をする訳だから、寝るのは砂漠の中の「ベドウィンテント」。
これが、テントの前の焚き火(?)って言うんだろうか。
そしてこれがテント。
もちろん、寝る前には夕食が出る。これがそのベドウィン料理(なのかなぁ~?)。
結構美味しかった。お腹が空いてたせいもあるけど。そして、寝るのはテントの中で寝てもいいけど、かなり厚手の布団を用意してくれたので、なんと外で寝ることに。上の写真の焚き火の周りで。ガイドのベドウィンさんも外で寝てたし、できるだけベドウィンのマネをした。
ところで、このベドウィンという人達は基本的に(少なくともつい最近までは)遊牧民。彼らはおそらく「領土」などという概念すら持たずに数千年の時を生きてきた人達である。そんなベドウィン達の基本的な考え方は、そもそも大地は神が所有するものであり、人間がいかに所有権を主張したところでそんなものは空言のようなもの。そんな考えだから、ベドウィンにとってはパレスチナ問題などは、くだらない争いごと。よって、イスラエルにおいても、ユダヤ人ともパレスチナ人ともそこそこ仲良く生活しているのである。
で私がこの夜を過ごしたのは、人口の光は何もないそんなベドウィンのテント。砂漠の星空を眺めながらそんなことを考えたりして眠りについた。
そして、夜明け。
もう一枚。
かなり清々しい朝だった。
このあと朝食が出て、車に乗りWadi Rum出口まで。そして、一日に一本しかない(らしい)バスに乗って、再びぺトラ付近のホテルまで。昼食を食べたあと、再びぺトラ見物。そしてこの夜はホテルにとまり、次の日の朝、イスラエルへ帰ったのであたった。
ヨルダン旅行記、終わり....。
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