2016年5月14日土曜日

数学の学び方〜MMとゲームバランス〜

前回に引き続き数学の学び方シリーズ。

まずは前回までの簡単なまとめ。数学者を目指すために数学を学ぶ際に重要なMM(Mathematical Maturity)はドラクエで言う所のレベルや経験値であり、なによりもこのMMを効率よく上げる必要がある。そして、そのためには各人のMMに相応する数学を学んで行く必要がある。ちょうど、ドラクエでもその時のレベルに相応する敵を倒すの効率が良いように。

では具体的にはどうすればよいのか?

で、ここで再びドラクエの例えを使わせてもらう事にする。

ドラクエでは基本的に(特にゲームの序盤では)、王様や街の住人とかが何をしてくれとか、どこに行けとか、ゲームの進め方を具体的に指示してくれてそれに従ってゲームを進めて行けば自然とレベルも上がって行き、先に進むにつれて徐々に敵も強くなるが、それに合わせてレベルもアップしていくように「設定されている」のだ。いわゆる「ゲームバランス」がきちんとしている限りは。そう、ここで一つ重要な点はこのゲームバランスであり、例えば「次の大陸に進んだら、出てくる敵が理不尽なほどに突然強くなった」というゆなことがないように制作者側が配慮するのである。


で、数学の勉強においても(序盤は)同じようなことが言えるのだ。


つまり(日本でもアメリカでも)小学校、中学校、高校と進むにつれて少しずつ数学のレベルが上がって行くが、先生の指示に従って勉強をこなして行けばそれに応じてMMがアップするようにカリキュラムが「設定されている」のだ。つまり、カリキュラムの制作者側が「ゲームバランス」を考慮して、突然難しくなったりしないように配慮してカリキュラムが組まれているのである。

そして、私の感じではMMをアップさせるという点で言えば、日本の高校までの数学のカリキュラム自体はそれほど悪いものではなく、決められたカリキュラムに従っていけばとりあえずMMがそれに応じてアップするように出来ているように思える。

前回にも書いたが「位相空間」を理解するのに「三角関数」の知識は必要ないが、カリキュラム上「位相空間」が「三角関数」の先に教えられることなどないのである。ドラクエでもドラキーが出現する前に死霊の騎士は出てこないのである。

また、時折文科省が(どういう理由かは知らないが)学校教育の指導要領を変更したりもするが、MMという観点から言えば、本質的なところは私が学校教育を受けたころからたいして変わっていないようにも思える。

例えば「円周率を3.14にするか3にするか」とか「台形の面積の公式を教えるか教えないか」といったような議論はMMという点で言えば、どうでもいいようなものなのである。

で、数学者を目指す場合は、まぁ、大学に入るまではあまり深くは考えずに学校や塾などの勉強をこなして行けば特に問題は無いように思える。


ちなみに、中学や高校などで「あるとき突然、数学が分からなくなった」なんて経験をすることがあるかもしれないが、考えられる理由の一つとして「MMが十分でない状態で次の段階に進んでしまった」という可能性がある。(他の理由もあるかもしれないが。)ですが、日本において学校教育のカリキュラムの「ゲームバランス」はそれほど悪くもないので、このような状態に陥ってしまったらパニックにならず、少し時間がかかるかもしれないが、少し前の段階に戻って勉強をやり直してみるのも悪くないように思える。


で、ここで話をドラクエに戻すが、ロンダルキアへの洞窟をご存知だろうか?ドラクエⅡに登場する悪名高き洞窟。ドラクエⅡはここで一気にゲームバランスが崩れて、極端に難しくなってしまうのである。


本来はあまり望ましくもないのだが、数学の勉強でも時折このような「ゲームバランスの崩壊」が起こることもあるのだ。


次回はこの事について書こうと思う。



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2016年5月8日日曜日

数学の学び方〜MMと知識の具体例〜

ついに、連載再開!!
数学の学び方シリーズ。前回から1年も経ってしまったが、再開する事にした。


まぁ、某T樫のマンガの連載のようなものと思ってください。

「私のブログ」とかけて「T樫のマンガ」と解く。その心は....「気が向いたら書く」。


とにかく期間が空いてしまったので、前回までのおさらい。

まず、ここで言う「数学の学び方」とは中間試験対策や受験勉強のような「短中期的」なものではなく、数学者を目指すための「超長期的」なものであるということ。

そのためにはMM(Mathematical Maturity、数学的熟練度)をアップさせることが重要である。そして、このMMとはドラクエに例えればレベルや経験値であり、各人の根本的な「数学的な強さ」のようなものであるということ。


特に押さえておくべき重要な点は、MMとは「知識の量」とは根本的に異なるものであると言う事である。


で、今回はこの点に関してもう少し具体例を出して説明する事にする。


まず、最初の例として、高校で習う「三角関数」というのがある。サイン、コサイン、タンジェント、っていう例のあれ。基本的に高校では三角関数の計算方法やグラフ、さらには、加法定理だとか余剰定理だとかいったいくつかの重要な定理や公式などが教えられる。


次の例として、大学(基本的に学部の高学年)で習うものの一つに「位相空間」という概念がある。位相空間とそれに関する基礎理論は数学者を目指すものであれば誰もが学ぶ必要がある。


三角関数は高校で習い位相空間は大学習うものであるため、位相空間を理解するためには三角関数をきちんと理解しておく必要があるのでは?と思うかもしれないが、実はそんなことはないのである。

実は位相空間を理解するためには、別に三角関数に関する知識なんか何も必要ないのである。実際、位相空間の入門書を開いてみても、サインもコサインも基本的には出てこないのである。知識という点では、位相空間と三角関数とは基本的には異なるものなのである。

つまり、理論上は、三角関数なんて知らなくったって位相空間を理解できるのである...そう、「理論上は」。



だが、実際は三角関数を理解してない人が位相空間とその基礎理論を理解するのは基本的には不可能であろう。



ここまで読んで分かった人もいるかもしれないが、理由はMMにあるのだ。つまり、三角関数と位相空間では理解するのに必要なMMが根本的に異なり、三角関数すら理解できないようなMMの持ち主には、位相空間などとても理解できないのである。ドラクエに例えれば(またこれになってしまったが)、ドラキーに苦戦する勇者はどう頑張っても死霊の騎士には勝てないのである。



逆に、仮に位相空間を理解できるだけのMMの持ち主で、三角関数を学んだ事が無い人がいたとしよう。このような人が、三角関数の勉強を始めたら、あっという間に三角関数を理解してしまうであろう。おそらく、教科書をさらった読んだ程度で全てを理解できるぐらいだと思う。まさに「瞬殺」といった感じである。そう、死霊の騎士を倒せるレベルの勇者ならドラキーは「瞬殺」である。


ですが、前回書いたように、位相空間を理解できる人がいくら三角関数の勉強をしたところで、基本的にはMMはアップしないのである。つまり、このような人が三角関数の勉強をしても「無駄な勉強」になりかねないのである。


そう、数学を学んで行く上で重要なのは、常に自分のMMにマッチしたものを勉強していく事が重要になって行くのである。


という訳で、次回はこの辺をもう少し書いていくことにする。



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2016年5月4日水曜日

アーベル賞に思う事

ちょっとタイミングが遅くなったけど、先々月、今年のアーベル賞受賞者が発表された。今年の受賞者は数学関係者でなくても名前は知っているかもしれない、あのフェルマーの大定理を証明したアンドリュー・ワイルズ

ところで、そもそもアーベル賞とは何か?

よく知られているようにノーベル賞には「ノーベル数学賞」なるものは存在しなり。何故そうなったのかに関しては諸説有るのだが(興味がある人は調べてみてください)、とにかく無いものは無いいのである。

その代わり(?)に数学にはフィールズ賞なるものが一応「数学のノーベル賞」とされている。が、フィールズ賞は4年に一度だけしか与えられない上に、40歳以下という厳しい年齢制限が付いている。さらに賞金もノーベル賞と比べてかなりしょぼい。というのも本来フィールズ賞は「数学のノーベル賞」のようなものではなく、若手数学者を奨励するためのもので、いわば「数学の新人王」のようなものと解釈するのが正しい見方なのである。(ちなみにこのことは、だいぶ以前にフィールズ賞に思う事で書いているので、参照して頂きたい。)ところが、いつからからかは知らないが、フィールズ賞が数学のノーベル賞と位置づけられるようになってしまったのである。

でもやはり、フィールズ賞が数学のノーベル賞にされてしまうのは問題がある訳で、だからかどうかは知らないが、「本当の意味での数学のノーベル賞」を、という意図で(多分)約10年ちょっと前から始まったのがアーベル賞である。

アーベル賞には年齢制限のようなものもなく、賞金もノーベル賞並み。さらに、4年に一度ではなく毎年誰かに授与される。

そして第一回のアーベル賞は2003年にジャン=ピエール・セールに与えられた。(ちなみに私は以前、このセールとビリヤード対決をしたことがある(参照記事)。って、そんなつまらない自慢話はさておき...。)


で、今年のアーベル賞はアンドリュー・ワイルズに与えられたのである。


そして、過去のアーベル賞受賞者はウィキペディアに載っている通りである。

で、この受賞者リストを見て思う事は「まぁ、そうだろう」である。第一回のセールから今年のワイルズまで、基本的に「アーベル賞を取ったけど、だからどうしたの?何の不思議もないでしょう?」と思うのである。

つまりどういう事かと言えば、例えば今年のワイルズ。別にアーベル賞を取った所で、今更ワイルズの数学者としての偉大さの何かが変わる訳でもなく、賞を取ろうが取るまいが、ワイルズの功績がどれほどのものかは(数学関係者なら)誰だって知っている訳で、アーベル賞を取った所で、言ってみれば「今更?」な感じなのである。


数学以外のもので例えてみれば、(日本にもアメリカにも)野球殿堂なるものがある。現役を引退したある一定期間を過ぎた野球選手が選出されるのではあるが、例えばイチローが現役を引退し殿堂入り資格を得れば、間違いなく殿堂入りするであろう。(清原のような事でもしない限り。)でも、その時にはおそらく誰もが「イチローが殿堂いり?そりゃそうだろう。今更驚く事でもないだろう?」ぐらいに感じるように思える。


アーベル賞は結局このようなものに思えるのだ。


つまり、フィールズ賞が「数学の新人王」ならばアーベル賞は「数学殿堂」。


いずれにしても、数学という学問は他の学問分野と比べて「研究業績の評価が分かりやすい」分野で、アーベル賞のような賞があってもノーベル賞のようなものとは一線を画すようなもので、別に大騒ぎするようなものでも無い様に思っているし、実際、数学者の間でも対して大騒ぎにはなっていなかったりもする。そう、数学は「分かりやすい世界」であり、アーベル賞のようなものがあってもなくても、何が変わる訳もで無いのである。



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