2010年2月25日木曜日

日本食レストラン

今日は、セミナーの後、講演者との夕食会に行ってきた。

行った場所は日本食レストラン。

私が注文したのは



美味しく頂きました。

ところで、アメリカでもはやり日本食レストランの名前には日本語が使われてることが多い。
例えばPurdueの近くにある日本食レストランには、今日行ってきた以外ではNakamaとかKokoroって名前のレストランがある。


そして、日本人以外の人と日本食レストランに行くと、必ずと言っていいほど、レストランの名前の意味を聞かれる。



もちろんNakamaとかKokoroって、意味を聞かれても簡単に答えられる。






でも、今日行ってきたレストランの名前は、ズバリ































なんか、ものすご~く、説明が面倒くさいんですけど。

でも夕食会に来てた院生の一人にレストランの名前の意味を聞かれた。


そんな訳で、面倒くさかっし聞かれたのは帰り際だったから、


「Googleにでも聞いてみて」


って言ってその場をしのいだ。



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2010年2月23日火曜日

「数学以外の世界も......」

数学、特に私のやってる完璧(?)にピュアな純粋数学って、基本的に数学だけのある意味孤立した世界であることは否定できない事実であると言っていいと思う。

どんな学問分野だって、ある程度はその分野に特化して研究をせざるを得ないのだろうけれど、数学は特にその傾向が強いように思える。

例えば私は学部時代、機械工学を専攻していたが、私の卒業研究は某医学部の先生との共同研究で、半分は医学の研究だった。

これと似たような他分野との交流や共同研究は、基本的にどのような学問分野でも行われる事だろうし、またそのような交流は必要な事でもある。

が、純粋数学となると、かなり異なってくる。

数学の中でも、応用色のある分野、例えばコンピュータサイエンスとか、社会科学とか、心理学とかへの数学の応用とか、最近(?)流行りのBio Mathとか、あるけれど、純粋数学となると、こういうものがほとんど無くなってくる。しいて言えば、一部、物理学とか哲学(基本的に分析哲学)とかに関係するようなものがあるぐらい。でも、そういう分野だって純粋数学の中では主流から外れるように思える。

もちろん、数学内での他分野との交流はあるけれど、数学という枠を越えたところでの他分野との交流なんて皆無に等しい。

純粋数学って基本的に、論理と抽象概念だけが飛び交う世界。

そんな数学の世界にドップリと浸かってると、人によってはある時、思ったりもする。



「数学以外の世界も知ってみたい」



的な事を。

とくに、学部時代から数学を専攻して、ストレートで大学院に進んだ、いわば「数学一筋」でやってきたような人達の中に多くみられるような気がする。

人によっては、大学院時代にそう思い始める人もいるし、ポスドクになってからそう考えだす人もいるし、さらにその先に進んでから、そういう思いに取りつかれ始める人もいる。

個人的に思うことは、この



「数学以外の事も.....」



って言い始めたら、その人が数学を去っていく前兆のような気がする。数学者としての黄色信号とでも言えるかもしれない。

もちろん、その人の人生が黄色信号って意味ではなく、あくまでも数学者として、って意味で。

私のあの友人この友人も結局こういうことを言って数学の世界を後にした。

さらには、数学者としてそこそこの実績を上げた後、数学を去っていく人もいるのだが、なんとなく、こういう気持ちに取りつかれた結果、数学を去っていくのでは無いのだろうか、と個人的には思ったりもしている。

ところで(純粋)数学の世界を去った大数学者として真っ先に(?)思い浮かぶのが、デヴィッド・マンフォードであるが、彼が数学を去ったのもこういう心理構造が働いたのだろうか?と思う時がある。

ちなみに、私の博士論文の(書類上の)指導教官は、このマンフォードの最後の(純粋数学での)弟子の一人なのだが、この人に、何故マンフォードが純粋数学を去ったかを聞いてみたことがあるのだが、「その理由はマンフォードのみが知っている」とのこと。


で、私自身はというと、数学にたどり着くために、色々と回り道をしたおかげで、

「数学以外の事も........」

なんてことは、考える気配すら全く無いのが現状である。

正確にいえば、

「私自信にとって、数学以外にも、興味深いことは沢山あるけど、数学以上に興味深いことなんてこの世に一つもない」

って心の底から思ってる。

そう考えると、数学にたどり着く前の回り道も、それなりに意味のあるものだったように最近思い始めるようになった。



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2010年2月21日日曜日

アメリカで熱帯魚を飼おう!!

って、ようするに、今日は熱帯魚記、と思ったのだが、いい加減、熱帯魚の話は別ブログに移すことにした。

という訳で、熱帯魚ブログ

アメリカで熱帯魚を飼おう!!

を始めましたので、熱帯魚に関する事は、これからはこっちのブログにアップしていきたいと思いますので、興味のある方は、この熱帯魚ブログをよろしくお願いします。



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2010年2月19日金曜日

I'm deeply sorry.....

"I am deeply sorry for my irresponsible and selfish behavior I engaged in."

って、今日のタイガー・ウッズ。

個人的には、謝んなくてもいいから、早くゴルフに戻ってきて!って思ってるですけど.......。

結局、いつゴルフに復帰するかは言わなかった。

マスターズまであと約一ヶ月半。それまでに戻ってきてほしいけど。

うううむ、かなり、ビミョ~。

タイガーの出ないマスターズなんて、シュワちゃんの出ないターミネーターみたいなもの。

でも、今日の会見を聞く限り、なんか可能性薄、って感じもする。



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2010年2月17日水曜日

私の見てきた「数学者への道」を目指した人達

「数学者への道」シリーズ....って、いつシリーズ化したの?

まぁ、とにかくこの前「数学者への道」の一般論を書いたけど、今回は指向を変えて、私が今までに見てきた「数学者への道」を目指した人達の中から、興味深い(と私が思ってる)実例をいくつか紹介することにする。


友人A:

彼はアメリカ東海岸にある某名門私立大学(学部)を主席で卒業した。その間、学部生がその大学でもらえるであろう、ありとあらゆる賞や奨学金を総なめにし、数学コンテストの類でも全米トップレベルの成績を収めた。

大学院はどこの大学院にも入れたのだが、その時彼が興味のあった分野ではトップレベルのUCバークレーの大学院に進んだ。

当然のように、数学では毎年せいぜい全米で30人ぐらいしかゲットできないNFSの奨学金を携えて。

ちなみに、私が彼と知り合ったのはこのバークレーでのこと。(私はその昔バークレーに聴講生のようなものとして、もぐってた?ことがある。)

彼と知り合ったころ、私自信ははまだ「数学者への道」を目指す決心をしていなかったため、彼に会った時は「数学の世界にはすごい人達がいるんだなぁ~」ぐらいのある種の「客観的」な気持ちしかもっていなかった。

そんな、誰もがその将来を楽しみにするようなAではあったが、その後、なぜか失速。結局、7年間をかけてやっと、それほどでもない博士論文を書いて、なんとかPh.Dを取得したものの、アカデミアに残ることはせず、現在ではバージニア州にある小さな町で、プログラマーとして、ひっそりと暮らしている。



友人B:

彼は、私と同じ年にUpennの大学院に入ってきた、いわば「同期生」であった。某国からの留学生であったのだが、その年一緒に大学院に入学した人達の中では、誰もが認める「Best Student」であった。

「マジで、このBって、天才じゃねぇーのか?」って思ったこともあるほどの優秀さであった。

が、そんな彼が、大学院一年目で、多少のホームシックもあり、「数学的にはB自身の国の大学院でもそれほど変わらない」といったような事を言って、自国に帰りPh.Dを目指す。しかし、その後7年間の歳月を費やし、Ph.Dすら取れずに、最近、「数学者への道」を去って行った。


知人C:

彼は、私の友人というほど親しい中では無いので、ここでは「知人」としておくが、このCはアメリカ東海岸にある超一流大学(ようするにHarvardかPrinceton)で、歴史に名を残すような数学者の指導のもとPh.Dを取得した。

博士論文の結果も素晴らしく、数学では3本指に入るトップジャーナル(ようするに、AnnalsInventionesJAMS)に出版された。

当然のように、某名門大学でポスドクのポジションを得た。

が、そこで、なぜか失速。博士論文がいわば「貯金」のような働きをして、一応某大学でTenure Trackのポジションを得るも、ここ5年近く、まともな論文は一本も書いていない。

最近、人から伝え聞いたところによると、C本人にも分からないスランプに陥ってしまっているらしい。



という訳で3例を見てみたが、こういう人達とはある意味、対照的な人達もいる。


友人D:

彼は、私とUpennでの同期生なのだが、大学院時代、成績が振るわず、二回しか受けるチャンスのない関門試験に一回落ちて、二回目でもぎりぎりパスした。

その成績不振ぶりから、学科から退学勧告に近いようなものを受けたぐらいである。

が、それでも何とか博士論文を仕上げ、私と同じ年にPh.Dを取得。その後某大学でポスドクのポジションを得ることに成功。そして、その間、そこそこの論文をいくつか仕上げ、現在では一流とまでは言わないまでもそこそこ名の知れた大学でTenure TrackのAssistant Professorをやっている。

ちなみに、私と大学院同期では、今のところ彼が出世頭である。



知人E:

彼は多少私よりは年配の人物なのだが、名門シカゴ大学でPh.Dを取得する。しかし、その後ポスドクとしてのポジションを一切得ることができず、結局実家に帰り両親と暮らすことに。

しかし、その間も研究の手を緩めることなく、いくつかの論文を「無所属のフリー数学者」として発表。

その業績が認められ、アカデミアに復帰し、現在では某大学でAssociate Professorをやっている。



そして、最後にちょっとおまけの例

友人の友人P:

このPには私は一度しか会ったことが無いのだが、私の友人の一人はPとは昔からの知り合いである。彼は、世紀の難問ポアンカレ予想を解決し、その業績により4年前のICMではフィールズ賞に選出される。しかし、その受賞を拒否し、数学者の世界に愛想をつかした、といったような事を言い、数学の世界を去り、現在ではロシアの実家で引きこもりニートのような生活を送っているらしい.........。



総論:

最後のPさんは完全におまけではわるが、これらの例を見て、私が思うこと。それは、数学者のレースって、半永久的に続く超長距離マラソンのようなもので、ある時、他を圧倒するような走りを見せた人が、そのままのペースで走り続けるとも限らず、また逆に、遥か後方に取り残されていたような人が、いつの間にか順位を上げてくることだってある。

そんな「数学者への道」を走りぬくためのコツは?

そんなものがあるなら、私が知りたい、ってのが本音だが、個人的にはあまり周りを気にせずに、マイペースで走り続けるのが、自分には合っている気がする。



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2010年2月16日火曜日

私が歯列矯正を始めた理由

毎月恒例、歯列矯正ブログ

30代男の歯列矯正 In U.S.A.

を更新しましたので、興味ある方はどうぞ。

ところで、以前、日本に帰った時に、ある友人と交わした会話


友:「なんで、歯列矯正してるの?」

私:「それは、ちゃんと歯列矯正のブログに書いてあるから、それを読めば分かるよ」

友:「やだよ、そんなブログ、グロくて読む気になれねぇ~よ」


という訳で、そういう人のために、私が歯列矯正を始めた理由について。

といっても、これは歯列矯正ブログに書いてあることのコピペをちょっと手直ししただけだけど。


まず、振り返れば、それは私が小学生のころにさかのぼる。

小学生の時、歯が生え変わったころ、私の歯はとんでもな生え方をした。っていうか、前歯が極端に出てた上に、左上の前歯がななめ横に向いていて、隣の歯とも重なってる始末である。

それを心配した両親は歯医者に相談。

「矯正した方がいいんでしょうか?」

てな感じで。それに対する歯医者の返答は

「今はまぁ変かもしれないけど、成長とともに顎の骨も大きくなり、それにともなって歯もすっきりと収まってくるので、特に心配しなくても大丈夫でしょう」

って、小学生のころの親と歯医者のやり取りなどそんな正確に覚えているはずはないのだが、基本的にこんな感じだったと記憶してる。

そして、親父の下した決断は


「まぁ、男の子だしな。」


って、これって差別発言って気がしなくもないが、とにかくそういう理由で歯の矯正をするタイミングを見事に逃したのであった。

そして、月日は流れ、歯医者の言ったとおり成長とともに歯もすっきりと?収まっていったのだ。それに対する親父の発言は

「歯医者の言う通りにしといてよかったなぁ~」

ってな感じだった。

といっても、あまり見苦しくないといった程度であって、普通の人から比べれば、「出っ歯」と言わざるを得ない状態であったことには変わりはないのだが。

そして、さらに月日はながれ、私は22歳で渡米。そんなアメリカで直面した事実とは「アメリカでは歯並びが命」。って、そこまで大袈裟かどうかは知らないが、とにかくアメリカ人は日本人の数倍、歯並び気にするのである。

「歯並びは出世に影響する」だとか「歯並びが悪いと育ちが悪いと思われる」とかいったような都市伝説まで聞こえてくる始末。

それ以降、

「あ~ぁ、子供の時に矯正しとけばよかったかなぁ~」

的な気分が支配的になっていったのだった。

しかし渡米当初は学生だったし、経済的にも時間的にも精神的にも、歯並びを気にしてる余裕などは一切なかったのであった。


そして、さらに、さらに月日はながれ、最近やっと、経済的にも時間的にも精神的にも、歯並びを気にするぐらいの余裕が出てきた?ので、長年の夢を叶えるべく、この年齢にして歯列矯正を始めることにしたのである。

そして、今、歯列矯正を初めて一年二ヶ月が過ぎた。個人的には、この歯列矯正はかなり楽しんでる。歯が痛くて大変なこともあるし、早く終わって欲しいって思うのも事実だけど。

でも、楽しめるのは、この年になって自分のお金と意思で始めたからであって、もし子供のころ親に無理やりやらされてたら、途中でキレてたかもしれない、って思うのもまた事実のような気もする。

とにかく、あと半年以内には、矯正器具は外れる見込みで、今からかなりワクワクしています。



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2010年2月15日月曜日

数学者への道~その2

前回の数学者への道の続き、というか補足。

基本的に数学者になるには


学部→大学院→ポスドク→Tenure Track→Tenure


といった経路をたどるが、アメリカの場合、最後のTenure Track→Tenure以外では次の段階に進む際に基本的に大学を変え無ければならない、という慣わしがある。

この辺は日本などと比べるとかなり異なっている点に思える。

つまり、学部、大学院、ポスドク、そしてTenure Trackと同じ大学に残ることが基本的には許されてないのだ。

別に法律や協定のようなもので決まってる訳ではないのだが、ある種の不文律のようなもので、かなり徹底しているように思える。

例えば、ハーバードでは学部を卒業してそのままハーバードの大学院に入ることが出来るのはその年のトップの学生たった一名のみで、それ以外(つまりほとんど全ての学生)は他の大学院に進むように決められている。

また、私の出たUpennではPh.DをUpennで取った後、そのままポスドクとして残ることは許されていなかった。

そんな理由により、多くの場合はTenure Trackのポジションを得る大学が最低でも4校目ということになる。

もし、学部→大学院→ポスドク→Tenure Trackの四段階の中で、同じ大学で2段階やったって人がいたら、かなりレアなパターンと言っていいと思う。

例えば、Purdueの教授の一人で、ポスドクをPurdueでやって、そのままPurdueでTenure Trackのポジションを得て、現在Professorをやっている人が一人いるのだが、その教授にどういう経緯でそうなったかを聞いてみたら、やはりいくつかの偶然が重なって、普通起こり得ないことが起こっただけだったとのこと。

そんな訳で、私もよほどの偶然が無い限り、今のポジションの契約が切れたら、Purdueを去ることになる。つまり、Purdueにいるのは、遅くても来年の夏まで、ってことになる。




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2010年2月13日土曜日

稚魚の生命力

前回の続きで、熱帯魚の稚魚の話。

先月生まれたプラティーの稚魚は結局一匹も生き残れなかった。やはり水槽が小さいため、稚魚を隔離することなく育てるのは無理っぽい。


そして、約一ヶ月後、本当にまた稚魚を生んだ!!


でも、やはりブリーディングの設備なんてないし、そもそも水槽小さすぎだし、まぁ、またそのまま様子を見ることに。



すると.....



な、なんと、


稚魚のうち一匹がこんなところで発見された。



この写真には稚魚は写ってないけど、なんと、一匹の稚魚がここで発見されたのだ。

ここって、要するに水槽の上部にあるフィルター。

つまり、この稚魚、水をくみ上げるポンプに吸い込まれ、この上部フィルターまで到達したのだ。

そして、息絶えることなく、フィルターの角に出来たちょっとした水たまりで、けなげにも生き延びていたのだった!!!



稚魚の生命力に感動!!



今思えば、このフィルターで生き延びる稚魚の写真も撮っときゃよかった。でも、撮り忘れた。



とにかく、その時思った......


「この命、大切にしなければいけない!!」


でも、水槽に戻したら、ほぼ間違いなく親や他の魚に食べられる。かといって、ここに放置したって時期に息絶えるだろうし.......


そこで、


熱帯魚屋に車を走らせ、稚魚用のケースみたいのが無いか聞いてみた。

が、

その手のものは、ちょうど切らしていて、取り寄せになるとのこと。

でも思いついた。


そんなの、自分で作ればいい!!


そんな訳で、こんな感じで、水槽に自家製ブリーディングネットを設置した。





ようするに、ちょうどいい大きさの魚をすくう網を水槽に上に落ちないようにおいて、中に偽物のプラスチック水草の切れ端と、水槽の底に敷いてある砂利を少し入れただけ。

そして、上部フィルターに閉じ込められた稚魚を救出して、この中へ。


で、それから今日で一週間ぐらいになるけど、今のところ稚魚は無事に生きている。

そんな訳で、生後約1週間のRed Coral Platyの赤ちゃんの動画をどうぞ。




最後の方には親プラティーも映るので大きさの比較ができます。


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2010年2月11日木曜日

消えゆく命、そして.......

熱帯魚の続きです。

とりあえず、前回までの復習はこちらでお願いします。

ようするに、冬休み日本に帰ってる間、二匹のコリドラスが死んでしまった。

しかし、消える命あれば、新たに誕生する命あり。まさに自然界の掟。なんと、水槽の中にはこんなのが!!


赤い丸の中に見えるのは、まぎれもなく、ちっちゃな熱帯魚。

そう、いつの間に稚魚が生まれてたのだ。間違え無く、レッド・プラティーの稚魚。これ以外にも3匹ほど確認できた。

このプラティーという熱帯魚は所謂、卵胎生メダカってやつで、雌が腹のなかで卵をかえして、稚魚がある程度成長してから産み落とすタイプの魚。

そして、多分、この稚魚は生まれたばかりだと思う。

うううむ、私が日本で年末年始のくだらないテレビ番組にヘラヘラ笑ってたころ、水槽の中では色々なイベントが発生していたようである。

でも、さすがにブリーディングなんてやる気ないし、やる設備もない。そもそも、この小さな水槽でブリーディングなんて出来そうもないし。

で、ちょっとグーグル先生に聞いてみたら、プラティーなどの卵胎生メダカの稚魚はある程度成長して外に出てくるため、生存率が高く、運が良ければ水槽内で、特に何もしなくても成長して大人になっていくこともあるとのこと。

そんな訳で、そのまま様子見てたら、数日後には、結局一匹も残っていなかった。

おそらく、親プラティーやその他の魚に食べられてしまったのだろう。実際、稚魚の中の一匹が親に食べられる現場を目撃してしまったし。

残念........




が、



調べたところによると、プラティーの産卵周期はなんとたった25日。一度子供を産んだプラティーはその後、ほぼ正確に25日周期で稚魚を生み続けるらしい。


そして、その約25日後の先週、再び!!!!



という訳で、次回に続く。




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2010年2月7日日曜日

負けた

終わった。今年のスーパーボウルが。

今年は地元インディアナ州のコルツがスーパーボウルまで進んだから、応援してたのに........

結果負けた。

残り時間的にこの一本取らなきゃ負ける、って場面でインターセプトされて逆にタッチダウン決められて、事実上、勝負が決まった。

まぁ、いいか......これからちょっと仕事でもしよう。



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2010年2月6日土曜日

数学を去っていく人達

親しい友人がまた一人、数学の世界から去って行った。

彼は、ドイツ人なのだが、学部時代にフルブライト奨学生としてアメリカにやってきて学部を終え、大学院はコロンビア大学に進み、Shou-Wu Zhangという超ファーストクラスの数学者のもとでPh.Dを取得し、その後Caltech(カリフォルニア工科大学)でポスドクをした、という経歴の持ち主である。

そんな彼から久しぶりメールが届いた。アカデミアを去る決意をし、現在ではロンドンにあるとある企業で、災害シュミレーションのようなことをやっているとのこと。



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2010年2月1日月曜日

数学者への道


以前、数学者はアメリカでナンバー1の職業にランクされた(参照記事)って書いたことがある。

そう、数学者ってかなり美味しい職業なのだ!!

といっても、誰でも簡単に数学者になれる訳ではない.....当たり前だが。

そこで、今日は「数学者になるには?」をテーマに、アメリカで一般的な数学者がたどる道のりと、私の場合どうだったか、について書いてみたいと思う。

ただ、初めに断わっておくと、これはあくまでもアメリカでの話であって、他の国のことは全く考慮に入れていないので、ご了承くださいませ。


第1ラウンド:大学(学部)を卒業する。

当たり前である。が、意外と当たり前でないのは、別に数学を専攻する必要も無いということ。これは日本だと難しいかもしれないが、アメリカの場合、制度上かなり可能。

実際、Shahidiは学部時代は機械工学を専攻していたし、フィールズ賞のWittenはなんと学部時代は歴史学を専攻。ちなみに、私も学部時代は機械工学科だった。

基本的にこのラウンドが終わるころは22歳前後が普通。



第1ラウンドと第2ラウンドの間の休憩(?)時間:学部卒業から大学院に進学するまで。

人によっては、学部を卒業してから、数年間ぐらい、仕事したり、台湾や韓国みたいな国だったら、男は徴兵されたり、まぁ、人それぞれなんらかの期間がある。意外と学部出てすぐ大学院に行くパターンってむしろそんなに多く無い気もする。

私の知っている人で、学部出て、子供一人育ててから大学院に戻って来た人もいるぐらい。

別に急いで大学院に行く必要もなく、2、3年大学から離れて、また大学に戻ってくる、って意外とよくあるパターン。(もちろん、これはアメリカでの話だけど。)

あと、私の出た大学院(Upenn)の教授の一人で、数学の大学院に進む前にmedical schoolに一年通ったけど、つまらなくなって、辞めて数学に移ってきたって人がいる。

ちなみに私も場合、日本の学部出て、すぐにアメリカの大学院に来たけど、初めは数学を専攻してなかったから、このパターンに当てはまると思う。

これが終わるころには22歳から26歳ぐらいになっていると思う。



第2ラウンド:大学院でPh.D(博士号)を修得する

これも、まぁ、当たり前って言えば当たり前。基本的には数学でPh.Dを取る。

だが、中には数学以外の分野、例えば物理とか経済学とかコンピューターサイエンスとか最近では生物学とか、数学とかなり近いような分野で数学よりの研究をやっていた人が、数学者になる例もある。もちろん例外的だと思うけど。

ちなみに、アメリカの大学院は数学の場合Ph.Dプログラムであれば、TA(Teaching Assistant)をして、基本的に学費は全額免除でなおかつ、月15~20万円ぐらいの給料ももらえるのが普通。いくらもらえるかは大学院によってまちまちなのだが、基本的に

「お金をもらって学生をやれる!!」

ということになる。普通の日本人の感覚なら「なんだ、そりゃ?」って思うかも知れないのが、それは日本人の「学生」というものに対する、偏見が生み出す言葉に過ぎないのである。

前にもっちょっと書いたけど(参照記事)、アメリカの大学院でPh.Dを取るのは、これがそう簡単ではないのだ!!

私が思うに、数学者がナンバー1の職業なら、(数学を専攻する)アメリカの大学院生がワースト1の職業ではないか?と思うほどに、数学者としての厳しい修行の日々を送ることになるのだ。

具体的な事はまた別の機会にでも書くとして、とにかく私が自信を持って言えること、それは

「今の倍の給料もらったって、もう絶対、大学院には戻りたいとは思わない!!」

特に私は、数学の中でも、専門分野の変更があったり、指導教官に恵まれなかったりで、Ph.D取るまでは大変だったのだ。

そして、この厳しい第2ラウンドもPh.Dの修得と共に終了のゴングがなる。

この時点で年齢的には、かなりばらつきが出るが、まぁ、27から32歳ぐらいだと思う。個人的には27歳未満でPh.Dを取れたら、結構早い方だと思う。

でも、歴史的に名を残すような数学者でも、かなりPh.Dを取るのが遅かったって人もいるから、ただ早けりゃいいってものでもないとは思う。

ちなみに、私の場合、数学にたどり着くまで、色々回り道があったから、Ph.Dを取った時は31歳だった。


第3ラウンド:ポスドク

Ph.Dを取ったら、多くの場合1年から5年ぐらいの間、通常「ポスドク」と呼ばれている身分となる。ポスドクとはpost doctorの略。基本的に、1年から3年ぐらいの期間限定の契約で大学に雇われることになる。

主な任務は教育と研究。アメリカの場合、研究だけっていうポスドクのポジションはまれで、ほとんどが授業を担当することになる。

まぁ、Ph.Dが「免許書」だとしたら、ポスドクは「初心者マークの期間」といった感じだろうか。

ちなみに私の場合は、一番最初がUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)で一年間のポジション。そう、たった一年間。

そして、その次は、アメリカから離れ、イスラエルで一年間のポスドク。そう、またまた、たった一年。

そして、そのあとは今いるPurdueで3年契約のポスドクで、今はその2年目。

ちなみに、基本的に英語でもpostdoc(ポスドク)って言うけど、正式にはアメリカの場合ポジション名がpostdocとなることはあまりなく、例えば私の現在のポジションは正式名称をVisiting Assistant Professorなどといって、それっぽい名前が付いている。

アメリカでは多くの場合、ポスドクはpostdocではなく、○○○ Assistant Professorみたいに、そこそこかっこいい(?)名称が付いているのが普通。

このラウンドが終了するときには、30~38歳、場合によっては40を越える、ぐらいになってるのが普通だと思う。


第4ラウンド:Tenure Track のAssistant Professor

さて、そんな「初心者マーク期間」であるポスドクをやりながら、なんとか研究成果を上げ、教育の経験を積み、次の段階がこれ。

基本的に期限無しのポジション。その最初がAssistant Professorってやつ。そして、多くの場合Tenure Trackと呼ばれている段階に入る。

分かりやすく言えば、教授になる人にとっての試用期間みたいなもので、大学側が「こいつに一生大学にいてもらっても大丈夫か?」を判断する期間。

この間、もちろん研究成果を上げ、論文を書き、授業を行いそこそこの評価を得る、といったような事が要求される。

人にもよるが、この間が3から5年ぐらいだと思う。

もう、この辺になると、年齢はかなり個人差が出てくると思うが、多分、このラウンドが終わるころには早くて35歳ぐらいで遅ければ40過ぎになると思う。

第5ラウンド:Associate Professor

そして、見事「試用期間」を突破すると、Tenureをもらえる。Tenureというのは基本的に「首にならない」という意味。

つまり、一度Tenureになってしまえば、論文を一本も書かなくっても、授業がへぼ過ぎて、学生から苦情が沢山出ても、首にはならないのだ!!

このあたりに来ると、数学者として「生き残った」といえると思う。

そして、この段階になるとAssociate Professorと呼ばれるようになる。

この段階では年齢的には40過ぎの人も多くなると思う。多分40前に次の段階に進めたら、数学者として、出世の早い方だと思う。

もちろん、Tenureになってしまったら、首にならない訳だから、研究を完全に止めてしまって、リタイヤするまでず~っとAssociate Professorの人もいる。(Upennにも一人いた。ここだけの話。)


第6ラウンド: Professor

Associate Professorから、さらに年月が経ち、研究実績などによって、Professorへと進化できる。そう、まさにこの段階にたどり着いた人が「教授(Professor)」。

ちなみに、私の生徒の多くは私のことを"Professor"と呼んでくれたりもするが、そのたびにいつも、いや、私はまだProfessorじゃないよ、って思ったりもする。

あと、AssistantでもAssociateでもない、完全な(?)Professorってのを強調するために、Full Professorという言葉を使う時もある。

個人的には、そこそこ名のある大学(たとえばPurdueとか)で、Professorと呼ばれる人たちが一人前の「数学者」のような気がする。


第7ラウンド:さらにその上

そう、アメリカでは(基本的にそこそこ名のある大学だけなのだが)さらにその上がある。これをChair Professorとかって言ったりするのだが、その分野でものすごく大きな実績を上げた人にはなにやら、それっぽい「称号」みたいのが与えられる。

例えば、Purdueだったら、

Shreeram Abhyankar..........Marshall distinguished professor

Louis de Branges................Edward C. Elliott distinguished professor

Freydoon Shahidi...............Distinguished professor

ってな感じで、明らかに「この人、ただの教授じゃないな」って思うような呼び名になる。

ちなみに、私のPh.Dの指導教官だった教授にも、最近なにやらそれっぽい称号が付いた。(といっても、この教授は私にとっては「書類上」の指導教官に過ぎないのだが、そのことはまた別の機会にでも書くことにする。)

もう、この辺は、数学界の頂点に君臨するよな人達だけが到達できる身分。

あと、これは日本でよく聞く「名誉教授」といったものとはまた異なる類のものですのでご注意を。



と、まぁ、こんな感じで、「数学者の道」は果てしなく長く険しい。

言うまでもなく、ラウンドが上がるごとに、少しずつ淘汰され、フルイにかけられ、最後までたどり着くのはほんの一握りにすぎないのである。


例えば、私がPh.Dを取ったUpennに私と同じ年±2年以内に大学院に入った人達の中で、そこそこ名のあるいわゆる研究系の大学(Research University)で、現在第4ラウンドのTenure TrackのAsssistant Professorまでたどり着いた人はなんと、たった


3人................


Upennでは毎年15人ぐらい大学院生が入ってくるから、それを考えると、いかにに「数学者の道」が競争の激しい道であるかが分かる。


さて、私は第3ラウンドを格闘中の身なのだが、果して私は第何ラウンドまで生き残れるのか、このブログを読んでる人達、予想してみてはいかがでしょうか?



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