数学、特に私のやってる完璧(?)にピュアな純粋数学って、基本的に数学だけのある意味孤立した世界であることは否定できない事実であると言っていいと思う。
どんな学問分野だって、ある程度はその分野に特化して研究をせざるを得ないのだろうけれど、数学は特にその傾向が強いように思える。
例えば私は学部時代、機械工学を専攻していたが、私の卒業研究は某医学部の先生との共同研究で、半分は医学の研究だった。
これと似たような他分野との交流や共同研究は、基本的にどのような学問分野でも行われる事だろうし、またそのような交流は必要な事でもある。
が、純粋数学となると、かなり異なってくる。
数学の中でも、応用色のある分野、例えばコンピュータサイエンスとか、社会科学とか、心理学とかへの数学の応用とか、最近(?)流行りのBio Mathとか、あるけれど、純粋数学となると、こういうものがほとんど無くなってくる。しいて言えば、一部、物理学とか哲学(基本的に分析哲学)とかに関係するようなものがあるぐらい。でも、そういう分野だって純粋数学の中では主流から外れるように思える。
もちろん、数学内での他分野との交流はあるけれど、数学という枠を越えたところでの他分野との交流なんて皆無に等しい。
純粋数学って基本的に、論理と抽象概念だけが飛び交う世界。
そんな数学の世界にドップリと浸かってると、人によってはある時、思ったりもする。
「数学以外の世界も知ってみたい」
的な事を。
とくに、学部時代から数学を専攻して、ストレートで大学院に進んだ、いわば「数学一筋」でやってきたような人達の中に多くみられるような気がする。
人によっては、大学院時代にそう思い始める人もいるし、ポスドクになってからそう考えだす人もいるし、さらにその先に進んでから、そういう思いに取りつかれ始める人もいる。
個人的に思うことは、この
「数学以外の事も.....」
って言い始めたら、その人が数学を去っていく前兆のような気がする。数学者としての黄色信号とでも言えるかもしれない。
もちろん、その人の人生が黄色信号って意味ではなく、あくまでも数学者として、って意味で。
私のあの友人もこの友人も結局こういうことを言って数学の世界を後にした。
さらには、数学者としてそこそこの実績を上げた後、数学を去っていく人もいるのだが、なんとなく、こういう気持ちに取りつかれた結果、数学を去っていくのでは無いのだろうか、と個人的には思ったりもしている。
ところで(純粋)数学の世界を去った大数学者として真っ先に(?)思い浮かぶのが、デヴィッド・マンフォードであるが、彼が数学を去ったのもこういう心理構造が働いたのだろうか?と思う時がある。
ちなみに、私の博士論文の(書類上の)指導教官は、このマンフォードの最後の(純粋数学での)弟子の一人なのだが、この人に、何故マンフォードが純粋数学を去ったかを聞いてみたことがあるのだが、「その理由はマンフォードのみが知っている」とのこと。
で、私自身はというと、数学にたどり着くために、色々と回り道をしたおかげで、
「数学以外の事も........」
なんてことは、考える気配すら全く無いのが現状である。
正確にいえば、
「私自信にとって、数学以外にも、興味深いことは沢山あるけど、数学以上に興味深いことなんてこの世に一つもない」
って心の底から思ってる。
そう考えると、数学にたどり着く前の回り道も、それなりに意味のあるものだったように最近思い始めるようになった。
ブログランキングに登録しています。
ここをクリックするとこのブログに票が入るので
みなさん、清き一票を。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
人気ブログランキング
2 件のコメント:
はじめまして、こんにちは!
ランキングからきました^^
NSAといえば「ダ・ヴィンチ・コード」でおなじみのダン・ブラウン氏の著作「パズル・パレス」を思い出します。主人公が暗号解読官が働いているんですが、その中で「NSAはNo such agencyの略」というジョークがあったんですが、そんなところにご友人が働いているなんてすごいですね!
古都さん、こめんとありがとうございます。
NSAって結構、数学を専攻している人が就職しているところなんですよ。
彼以外にも、NSAに就職した人を何人か知っています。
コメントを投稿