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2015年2月11日水曜日

日米大学比較〜良い成績を取る方法

日米大学比較。今回は「良い成績を取る方法」について。

今までも書いてきているように、日米の大きな相違に「各授業での学生の顔ぶれ」というのがある(参照記事)。そのことを踏まえた上で、今回のテーマを考えてみることにする。



日本の場合

日本の大学で良い成績をとるのに最も重要なこと。それは「友人のネットワーク」。これにつきると思う。

特に重要なのは「過去問集め」である。

とりわけ私の感じたところでは、同じ教授が毎年毎年、過去何年間も同じ授業を担当している事も多々あり、そのため過去問というのがかなり大きな意味を持つことになる。

そして試験が近づくとどこからともなく過去問が出回り始める。で、この過去問をゲットするために「友人のネットワーク」が極めて大切になってきたりもするのだ。


さらに、日本の大学では出席を取ることも多々あるため「代返」のためにも交友関係は重要になってくるのだ。

それ以外にも、欠席した分の講義のノートやプリントをコピーさせてもらったりとか。

さらに最近聞いた話では東京にある某一流大学などでは「シケタイ委員(試験対策委員の略)」なるものまで存在したりもする。(このシケタイとは何のことな知りたい人はググってみてください。)

まぁ、とにかくそんな訳で、ネットワークをフルに活用してある意味要領よく(?)大学生活を送る事が、授業で良い成績を取る秘訣と言えるだろう。



アメリカの場合

毎学期、各授業ごとにクラスメートの顔ぶれが変わるのがアメリカ。そのため、実は「友人のネットワーク」なるものはほとんど意味をなさなくなる。

さらにアメリカでは以前にも書いたような理由もあり教員の出入りが激しく、また、同じ教授が同じ授業を毎年担当するといったようなことが少ないこともあり、「過去問」というのもあまり意味をなさない場合が多い。また、教員によっては始めから過去問を公開してくれる人とかもいたりして(私も基本的にその一人)、ここでも交友関係は授業の成績にはあまり結びつかなかったりもする。

さらにアメリカの大学では基本的に出席を取らないため「代返」などといったものも存在しないのだ。(ちなみに「出席を取る・取らない」というのも日米の大きな違いのひつなのだが、このことは機会を改めて書く事にする。)


まぁ、そんあ感じで、結局アメリカの大学で良い成績を取るには「毎回きちんと授業に出席して自分が一生懸命勉強する」という事が重要になってくる。当たり前と言えばそれまでだが、そういう事である。




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2015年2月9日月曜日

日米大学比較〜授業中のおしゃべり

久々のブログ再開を記念して、これまた久しぶりに日米大学比較シリーズ。なんと約2年ぶりの日米大学比較。

で、とりあえず本題に入る前に今までの復習(w)

基本的に日本とアメリカの大学において最大の違いの一つは

日本:受験の際に専攻する学部学科を決める必要があり、入学後は変更が極めて困難。

アメリカ:専攻分野は大学に入ってから徐々に決めて行くもの。

このような相違から、授業の履修の仕方も大きく異なってくる。

日本:どの授業を履修できるかは各学生の所属する学部と学科及び学年によって決定される。

アメリカ:prerequisite制(参照記事)とでも呼べるような制度になっている。


そのため各授業でのクラスメートの顔ぶれも

日本:各授業、似たような顔ぶれが4年間続く。

アメリカ:毎学期、毎授業、顔ぶれがめまぐるしく変わって行く(参照記事)。


で、これらのことをふまえて今回のテーマ「授業中のおしゃべり」について書いてみることにする。



日本の場合

まぁ、結構授業中はおしゃべりをしたりする学生がいたりして、騒がしくなったりする事が多々ある。それもそのはずで、クラスメートの顔ぶれが4年間同じだったりする訳だから。

と言っても、最近では大学生はかなり大人しくなり授業中の私語は昔と比べてかなり少なくなったらしいと聞くのだが、私が日本の大学で学生をしてた頃は(授業にもよるが)おしゃべりをする学生などはかなり多かったのを覚えている。



アメリカの場合

私の学生及び教員としての経験上、アメリアの大学の授業において、授業中の私語はかなり少ないと断言できる。それもそのはずで、上に書いたように、各授業ごとにクラスメートの顔ぶれがかなり異なりうるため、言ってしまえば「おしゃべりをしたくてもする相手がいない」といった感じになるのだ。特に学期が始まったばかりの時期とか。

もちろん、学期が進むにつれて仲のいい友達とが出来ても、また新学期が始まれば「あれ?あの人見なくなっちゃたけど、どこに行ったんだろう?」みたいな事があったりして、まぁ、なかなか「授業中におしゃべりをする相手」を作るもの簡単でなかったりするのだ。

さらに、私が思うに、アメリカの大学では曲がりなりにも専攻分を学生が選ぶ事が出来るため、ある程度「自分の意志で授業を選択している」という感じが強くなるが、日本の場合、結局「大学で何が勉強できるかイマイチ分からないけど、合格したから入学した」といったような感じが強くなってしまい、「自分の意志」というよりは「授業を受けさせられている感」が強くなってしまうことも、日本の方が圧倒的に私語が多い理由に上げられるように思える。



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2013年4月7日日曜日

日米大学比較〜専攻分野の決め方

一ヶ月ちょいぶりのブログです。
そして、一年ちょいぶりに日米大学比較シリーズ。

今回は「専攻分野の決め方」ということで、具体的に学生がどのように専攻分野を決めているのかについて書いてみることにする。

このシリーズで何度も書いているように、日米の大学制度の最大の相違点は

日本:基本的に入試の際に学部学科を決め、入学後の専攻分野の変更は困難
アメリカ:大学に入学して、色々な分野の授業を取りながら徐々に自分の専門を決定していく

という点に集約される。

このような制度の違いは当然各学生がどのように専門分野を決定するかという点にも大きな違いをもたらす。

アメリカの場合:
以下、私の実際に知る友人や知人が、どのような経緯で数学を専攻するに至ったかについて実例を書いてみる。私の専門が数学であるため、数学を専攻した人の例になっているが、まぁ、どの分野でも似たような例を見る事ができると思う。

友人A:元々は物理を専攻する予定だったのだが、実験の授業が嫌いで、実験の無い数学を専攻することにした。

知人B:初めは哲学を専攻していたのだが、ちょっとした興味本位で履修した代数の授業の先生が良い先生で、授業でも良い成績を取る事ができ、それをきっかけに数学の授業を取り初め、徐々に数学に専攻を変えていった。

友人C:物理と経済学の2重専攻をしていたのだが、どちらの分野でもいまいち良い先生に当たることがなかったのだが、数学の授業を取ったら、良い先生にめぐり合ったから、数学を専攻することにした。

友人D:コンピュータサイエンスを専攻していたのだが、なんかいまいち面白みを感じられず、当初は副専攻にするつもりだった数学の方が興味深く感じるようになり、数学を専攻することにした。

知人E:当初は工学を専攻する予定だったのだが、いまいち成績が振るわず、たまたま必修だった線形代数の授業で良い成績をとることができたから、数学に専攻を変えることにした。

友人F:元々は英文学を専攻していて成績も良好で特に不満はなかったのだが、就職口が無いといわれ、他人に薦められて履修した数学の授業が面白かったため、数学を本格的に専攻することにした。

 と、まぁ、こんな感じの例は実はいくらでもあり、書き始めたらいくらでもかけてしまうので、この辺で止めておく。で、私の感じでは

「たまたま履修した授業でいい成績がとれた」

とか

「履修した授業を担当した先生が良い先生だったから」

といったような理由などが以外と多いように思える。

基本的に色々な授業を履修する中で、自分のフィーリングやテイストに合った分野を選んでいくアメリカ流を象徴しているようにも思える。

ちなみに上に上げた友人知人は全員数学でPh.Dを取得しており、その中には現在数学者として活躍している人たちもいる。


日本の場合:
やはり日本の場合ダントツで

「入試に合格したから」

というのが専攻分野を決める決定打になるのは言うまでもないだろう。

中には

「たまたま推薦入試枠があって、推薦がもらえたから」

というのもあるかもしれないが、まぁ、試験か推薦かの違いはあるが、本質的にはあまり変わらないように思える。

大学に入学する以前に専門分野を決めなければならない日本の制度。そして、さらに悪い事に入試という制度まである。そのような状況に中で、各学生が自分に合った分野や興味の持てる専攻を決める事など、そう簡単にできる事ではないというのは言うまでもない、といったところであろうか。

さらには、大学によっては各学科ごとに入学試験日が異なる場合も多く、

 「○○大学なら学部や学科はどこでもいい」

的な発想で、日程が許される限り、同じ大学の異なる学部をとにかく受験しまくるような受験生も見受けられるほどである。

で、このような受験生を

「やりたい事も決まってないのに大学にいくのか?」

的な感じで、ある種、白眼視するような人もいたりする。

が、白眼視されるべきなのはこのような受験生ではなく、日本の大学の制度にある、と私は思っている。


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2012年2月11日土曜日

日米大学比較〜専攻することと所属すること

久しぶりに日米大学比較シリーズ。

前回からは、日米の制度的な違いに焦点をあてるよりも、しばらくは学生の視点から日米の違いについて書いていくことにした。

で、今回は「専攻することと所属すること」というのがテーマ。

何度も書いているが、日本では基本的に大学入学前の入試の時点で専攻分野を決定する必要があり、入学後も基本的には専門分野の変更が極めて困難なのはもちろん、自分の所属する学部学科以外の授業を履修することすら不可能に近い場合が多い。

それに対してアメリカでは専攻科目は別に入学する前に決める必要もなく、一度決定してもその後変更も可能。さらには授業の履修もPrerequisite制により自分の専門分野に関係のない授業の履修も問題なく可能な制度になっている。(参照記事1、参照記事2)

このような制度上の違いは学生の「専攻意識」とでも呼べるものに大きな違いをもたらしていると私は考えている。

とうのも、上記のような理由から日本においては「学科への所属意識」のようなものが極めて強くなる。

私は日本の大学にいたときは工学部機械工学科だったのだが、全てがこの「機械科」という枠のなかで行われたため常に「工学部機械工学科に所属する学生」という意識をある意味強要されていた感じがあった。じっさい「機械科の学生」という言葉は何度も耳にしたことがある。あくまでも「機械工学を専攻する学生」なのではなく「機械工学科に所属する学生」とう意識である。

それに対してアメリカでは、学部レベルではあくまでも所属は自分の「大学」であり、学部や学科に「所属する」という意識はほとんど感じられないように思える。(もちろん大学院となると話は別であるが。)

それもそのはずで、基本的には各専攻分野の定める授業を履修し必要な単位をとれば、その分野の学位がもらえるというシステムになっているからだ。そのため、日本にあるような「○○学部××学科在籍」的な感覚はほとんどなくなる。

そしてこの事は言葉の上にも現れているように思える。

例えば日本では(というか日本語では)「工学部機械工学科卒業」という表現には何の違和感も感じられない。履歴書にも「●●大学○○学部××学科卒業」という書き方をすることには何の問題も無いが、仮に「●●大学で××を専攻」見たいな事をかいたりしたら、妙な違和感を感じる。そして「卒業」とはあくまでも「所属する学科を卒業」することなのである。


それに対しアメリカで、例えばPurdue大学で数学を専攻した人が、

"I graduated from the department of mathematics at Purdue University."

みたいな事を言ったとしたら、なんか不自然な表現に思える。別に文法的に問題があるという分けでもないのだが、妙な違和感を感じるのだ。もし同じような内容を事を言いたければ

"I majored in mathematics at Purdue University."

といったところであろうか。あくまでも、所属した学部や学科を卒業するのではなく"major in"なのである。

あえて「卒業(graduate)」という言葉を使いたいのであれば

"I graduated from Purdue University with a bachelor's degree in mathematics."

といった感じになるだろう。つまり、卒業するのはPurdue大学であり、そこで数学の学位をとったといった感覚になる。

履歴書に書く場合であっても

B.S. in mathematics, Purdue University

みたいな書き方が一般的になる。そこには「所属学科」のようなものは感じられないのである。


これらのことは、表面的な言葉の違いだけではなく、日米の大学制度の差がもたらす「専攻することと所属すること」に関する感覚の差を色濃く反映しているように思えるのだ。日本は「所属」でありアメリカは"major in"である。


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2011年10月8日土曜日

日米大学比較〜授業の顔ぶれ

久しぶりに日米大学比較シリーズ。

今までは結構大学の制度上の違いに焦点をあててきた感じがあるけど、これからは数回に渡って、学生の視点から見た日米での大学の違いについて書いてみようと思う。

今までの日米大学比較シリーズをまとめると、やはり日米での大きな相違点は授業の履修システムにあると言える。

日本の大学では基本的に各学生の所属する学部学科と学年という「枠」のなかで履修する授業が決定される。

それに対してアメリカではprerequisite制の元、各授業のprerequisiteとさえ満たせば学部学科や学年などの垣根など関係無しに授業を履修できるシステムになっている。(参照記事)

さらに、大学を受験する際に分野を決めなければならずその後変更も出来ないのが日本なのに対して、大学に入学してから色々な分野の授業を履修して徐々に自分の専門をしぼっていくのがアメリカ流。(参照記事)


このような制度上の違いは当然、各授業の学生の顔ぶれに大きく影響を与える。

つまり日本の大学では、学部学科と学年が同じのいわば「同期生」同士が毎学期同じような授業を履修するような感じになるので、授業の顔ぶれはなんかいつも一緒って感じになる。

つまり「クラスメートは4年間みんな同じ人達」みたいな感じと言えば分かりやすいだろうか。

ちなみに私は工学部であったため、この辺はかなり徹底していた。どの授業でも、周りを見渡せば皆知ってる人ばかり。基本的に皆、同じ学部の同じ学科の同期生って感じだった。


それに対してアメリカでは全くこの正反対。

毎学期、毎学期新しく授業履修をして、各授業ごとに履修している学生は全く異なる顔ぶれになったりする。

そして、各学生が専攻している分野も実に様々。

例えば前の学期に私がPurdueで担当した線形代数の上級レベルの授業。今ちょっと生徒のリストを見てみたけど、やっぱりいろんな分野の人がいる。数学はもちろん、物理を専攻している人。統計学の人。工学の人。さらには経済学専攻の人が一人に、なぜか英文学を専攻してる人も一人いた。さらには大学に入学して一年目の人から卒業間近の人まで様々。

そんな感じだから、学生の視点からすると、各授業ごとに顔ぶれが全然異なったりするのだ。

もちろん「あ、この人今学期あの授業でも一緒だな」とか「そう言えば、この子、前の学期はあの授業で一緒だったな」みたいなことはあるのだけど、結構同じ学期に複数の授業を同じ人と一緒に履修してることって少なかったりする。

もちろんこれは大学の規模によっても大きく異なるかもしれないけれど、一つの学期に3つ以上だれか別の人と同じ授業を履修していたら結構レアなパターンだと言えると思う。

さらに、専攻分野を変えたりする事とかも頻繁に行われるアメリカにおいては、学期が変わるごとに周りの人間の顔ぶれも結構頻繁に変わって行く。

その昔私がキャンパス内で体験した会話の一例であるが

「お〜、久しぶり。最近見なかったけど、今学期は数学はどの授業を取ってるの?」

「実は数学を専攻するのは止めて、これからは心理学を専攻しようと思ってるから、今学期は数学の授業は取ってないんだ」

みたいな感じの会話ってよくある会話だったりもする。

そのぐらい、クラスメートの顔ぶれがめまぐるしく変わるのがアメリカの大学なのだ。



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2011年6月3日金曜日

日米体罰比較

約一年半ほど前に、実にくだらないガンダム記事を書いてしまったことがあったが、そんなくだらない記事をくだらないままにしておかないために、ちょっと書いてみようと思う。

まず、このガンダム記事で取り上げたアムロ君とブライト中尉のやり取りを復習。

ア:殴ったな!!
ブ:殴ってなぜ悪い!?
ア:親父にだって殴られたこと無いのに!!
ブ:それが甘ったれなんだ!!殴られずに一人前になったヤツがいるとでも言うのか!?


実に時代錯誤なやり取りではあるが、私自身はそんなガンダムの話が作られたほんのちょっと後から日本で学校教育を受け始めたのだが、私が小学校入学当時、学校内には余裕で体罰が横行していた。


私が入学したのは1年2組。担任はB先生(♂)。悪いことをしたら、この先生は長さ50センチぐらいで、断面が3センチ×1センチぐらいの木の棒とういか角材を持ち出し、お尻をバチ〜ンと叩く、といった感じの体罰を当たり前の用に行なっていた。


この体罰は「お尻ペンペン」というそのまんまの名前で呼ばれており、これに使われた棒は「お尻ペンペンの棒」というこれまたそのまんまの名前で呼ばれていた。


この「お尻ペンペン」、基本的にクラス全員の前で、見せしめのごとくに行われることが多く、食らった時も痛いが、そのあと自分の席に座ると、お尻にまた別の痛みが走るというものだった。一度で二度痛いのがお尻ペンペンだった。


そして、この「お尻ペンペンの棒」は普段は子供たちの手に届かぬようにと、掃除用具入れの上に置かれていた。




さて、ではアメリカではどうか?



意外と知られていないようにも思えるのだが、アメリカの教育現場において、体罰は日本以上に厳しく禁じられているのだ。


だいぶ以前、とあるアメリカ人の友人とこのことについて話したことがあるのだが、この友人は小学校から高校までの間、先生が生徒に手を挙げたのを一度だけしか目撃したことがないらしい。


その一度というのは、高校時代に先生が生徒をひっぱたいたというものらしいのだが、なんと、その先生はその日で解雇され次の日から学校には来なくなったとのこと。


ちなみに、この友人というのは私より7歳ぐらい年上であるため、それを考えるとだいぶ以前からアメリカの学校では体罰が厳しく禁じられていたことが分かる。


私もそれ以来、注意して見ているのだが、たまにではあるが、生徒に体罰を振るい解雇された学校の先生の話がテレビのニュースで取り上げられることがある。


で、私の方はというと、大学で教えているので、基本的にこの辺のこととは無縁なことは言うまでもないのではあるが。




でも、話をガンダムにもどすと、よくよく考えるとアムロ君とブライト中尉は生徒と先生ではなく、地球連邦軍という軍隊の部下と上官。(と言ってもマニアックな厳密なことを言えば「ぼくだって軍人じゃない!!好きでガンダムに乗ってる訳じゃないんだ!!」っていうアムロ君の台詞もあるが。)


とにかく、アメリカ軍ではどうかというと、上官の部下に対する体罰もそうとう厳しく禁じられており、もしそのようなことがあれば、上官にはかなり厳重な処罰が下されるのだ。




さて、話を日本に戻すが、もちろん、私が小学校教育を受けたのは、もう遥か遠い昔のこと。もちろん、現在では「お尻ペンペン」のようなことが行われることなどあり得ないのは言うまでもないかもしれないが。


実際、私が小学校の時、学年が上の方に上がった時(正確な学年は忘れてしまったが)、このB先生が再び1年生のクラスの担任になったことがあった。


で、ある時なんかの用事で私と友人の何人かが放課後にB先生の教室に遊びに行ったことがあったのだが、その時、掃除用具入れの上をみたら、そこにはかつて1年2組の生徒たちを恐怖の底に陥れたあの「お尻ペンペンの棒」の姿が無かった。


私と友人たちは無邪気に「お尻ペンペンの棒」はもう無いのかとB先生に聞いてみたところ、「今年の一年生はみんなと違っていい子ばかりだから、お尻ペンペンの棒は必要ないんだよ」といった答えが帰ってきたのを今でも覚えている。


子供ながらに、なんか怪しいとも思ったが、まぁ、そうなのかぁ、とその場では納得した。が、今思えば、体罰に対する風当たりが強くなる時代の流れの中で「お尻ペンペンの棒」は封印せざるを得なくなっていたのだろう。




とこんな感じで、日本でも現在では体罰は厳しく禁じられているが、それでもアメリカほどは徹底してないようにも思えるのだが、どうであろうか?




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2011年5月19日木曜日

日米大学比較〜一般教養

皆さん、こんにちは。今日は、日米大学比較シリーズです。このシリーズも今回で10回目になりました。で、今回は一般教養について。

日本の大学で一般教養は通称「般教」。アメリカではGeneral Educationと呼ばれており通称"GE"。

日本のほとんどの大学でもやはり一般教養科目を履修することが義務づけられており、アメリカでも基本的に全ての大学でGEの授業をある一定の単位数履修する必要がある。

が、日本とアメリカにおいては、この一般教養の意義やそのあり方に大きな違いがあるのだ。


日本の場合


最近では、日本のでは一般教養のあり方も変わってきて、以前(私が学生だった頃)よりもだいぶ一般教養の要求量も少なくなってきたと聞くこともあるし、また、各大学ごとによっても結構異なったりもするようなのではあるが、概して言えることは、「一般教養科目」として専門科目とはいわば「別枠」になっているのが基本のように思える。

つまり、「一般教養の社会学」とか「一般教養の心理学」とか「一般教養の数学」のような感じで。

また大学によっては「教養課程」なるものが独立に存在する所もある。

さらには、前回書いたように日本の大学には総合大学でない大学も多数存在する。そのような大学では、一般教養科目自体も、各学部や学科ごとにオファーされることも珍しくない。

例えば、私は日本の大学では工学部だったのだが、一般教養の授業などは酷いものだった。社会学とか心理学とか経済学とか、工学部生向けの一般教養の授業ああり、そのような(かなり少ない選択肢の)中から、いくつかを選択して履修するというものだった。

さらには「一般教養課程用の教員陣」みたいな人たちがいて、このような人たちが一括して一般教養の授業を担当したりしていた。

当然、授業を受けてるのも全員工学部の学生。そのため(全員では無いにしても)多くの学生はほとんど興味もなくただ必修させられる。

そのため、教える教員の方も(全員では無いにしても)やる気がない。今思えばのことなのだが、工学部生向けの一般教養の授業なんて担当したくないけど、大学教員としての職を見つけるのは極めて大変(そのことは現在の私には痛いほどよく分かる)だし、そんな中、なんとか得られた職だから「背に腹は代えられない」ぐらいの気持ちで仕方なく教えていたのでは、と思える人たちも沢山いたように思える。

そんな状況下で、教員のやる気無さが、学生のやる気無さをさらに拍車をかけ、それがさらに、教員のやる気無さを加速させる。そこにあったのは、絵に描いたような悪循環であった。

結果として、ほとんどの学生にとって、一般教養の授業など無意味なものであったように思える。


アメリカの場合


では、アメリカではどうなっているか?

そのことを見ていく上で、2点ほど頭に入れておくべきことがある。まず前回に書いたようにアメリカの大学は基本的に全て総合大学であるということ。そして、だいぶ以前に書いたように専攻分野は大学に入学してから徐々に決めていくという制度になっているということ。

そのような中で、一般教養(GE)というのは、もちろんその名のごとく一般的な教養を身につけるためでもあるのだが、それだけではなく、GEの授業を通して、各学生が自分に適した分野を決めていくためのものでもあるのだ。

そのため、GEの授業も「特別枠」のようなものがあるのではなく、各分野の入門レベルの授業がGEの単位としてカウントされる制度になっている。

例えば、経済学でGEの単位を取りたければ、経済学部で開かれる授業のレベルの低い、つまりcourse number(参照記事)の低い授業を履修することになる。

そのような状況だから、GEとしてカウントされる授業を履修すると、実にいろいろなタイプの学生がいることが分かる。経済学の授業であれば、これから経済学を専攻又は副専攻しようと考えている学生もいるし、そこまでは考えてないけど、とりあえずGEの単位にもなるし面白そうだから、と考えてい履修する学生もいる。もちろん、大して興味も無いけど、GEの単位のためだけに履修する学生もいる。

でも、私の学部時代の一般教養の授業とは異なり、興味も無いのに無理矢理履修させられているような学生は一部であるために、上で述べたような悪循環は基本的に起こりえないように思える。

また、担当する教員も「一般教養用の教員」のような人がいるのではなく、各学科の教員が持ち回りで担当したりするのが普通だったりする。ただ、大きな大学だと、たまに大学院生がこれらの授業を担当することもあるのではあるが。

いずれにしても、私が思うことは、アメリカのGEのシステムは「大学に入学してから、色々な授業を履修することを通して、徐々に専門分野を決めていく」というアメリカの大学のシステムの中で、重要な意味を持っているように思える。


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2011年4月18日月曜日

日米大学比較〜総合大学と単科大学

今回は日米大学比較シリーズ。

総合大学と単科大学に関して書くことにするが、このことは日米の大学で大きな相違点の一つでもあると、私はつくづく思っている。


日本の場合


日本の場合、大学によっては総合大学の所もあるし、単科大学の所もあるし、また、その中間みたいな場所もあり、かなりいろいろなパターンがある。

東大や京大、早稲田や慶応は言うまでもなく、一般的な大学(日大とか)でも一つの大学が人文、社会、理学、工学、その他もろもろ、文理を問わず一通りの学問分野を有するような大学が基本的に「総合大学」と分類されている。

さらには、これらのような、完全な(?)総合大学とまではいかないまでも、それに準ずるような大学も多数ある。かなり一般的なのは日本で言う「理系」か「文系」の学部・学科のみを有するような大学。理系であれば、東工大とか東京理科大とか、文系であれば一橋大学とか、いわゆる名門大学と言われる大学の中にもこのような大学は存在する。

そして、さらには、単科大学、つまり基本的に一つの分野のみに特化したような大学もたくさんある。東京外語大学とか名門と呼ばれるような大学の中にもある。

もちろん、「単科」とまで言わないまでも、「2、3科」ぐらいの場所もある。「経済学部と法学部だけを有する大学」みたいな感じで。

あと、芸大、音大、医大といった感じの大学も「単科大学」と言えると思う。

と、こんな感じでいろいろなパターンがあるが、残念ながら日本の場合、総合大学であっても、入学の際に専攻学科を決めさせられるのが一般的である上に、入学後にその変更も難しく、授業の履修も、各学生の所属学科によってかなり限定されてしまう場合が多いため、結局、「学部・学科が異なれば別世界」的なところがある。

さらには、総合大学やそれに準ずるような大学であっても、A学部とB学部はXキャンパス、C学部とD学部はYキャンパス、みたいな感じで、それぞれの学部・学科がいくつかのキャンパスに分散されてしまっている大学も多く、この場合、結局「総合大学」とは言っても、事実上は「複数の学部・学科を一つの大学が経営している」だけになってしまっているようにも思える。

そう考えると、学生にとっては総合大学だろうが、単科大学だろうが、結局あまり差はないようにも思える。



アメリカの場合


アメリカの場合はUniversityやCollegeを名乗るような場所であれば、基本的に全て総合大学であるのだ。


名門と呼ばれるような大学はもちろんのこと、地方にある小さな大学であっても、全てと言っていいぐらい、総合大学なのだ。というか、私はこの例外を聞いたことがない。

そして、さらには、短大であっても、基本的な学部・学科を全て有する総合大学であったりする。

例えば、以前私が、コロラド州へのドライブの帰りに立ち寄った、小さな小さな短大(参照記事)。この短大の名前はCobly Community College。で、この大学のホームページで専攻できる分野のリストをチェックしてみればわかるが、人文、社会、理学、工学はもちろん、農学や、医学や歯学の基礎、さらにはArtやMusicといったような日本だったら芸大や音大にでも行かない限り学べないようなことまで学べてしまうのである。こんな、地平線以外何も無いような場所にぽつんと存在する小さな短大だって、このような感じの完全な総合大学なのだ。

さらに、以前からこの日米大学比較で書いているように、学部・学科の垣根を超えた自由な履修が可能な環境があるため、ただ「複数の学部・学科を一つの大学が経営している」という訳ではなく、学生達は、実に幅広い選択肢の中から様々な分野のことが学べる仕組みになっているのだ。

もちろん、それぞれの学部や学科がいくつかのキャンパスに分散されていることもなく、全ての学部・学科が地理的に同じ場所に存在するのだ。


このような点も日米における大学のあり方の大きな相違点だと思える。


補足

アメリカにおいて例外としては、大学においては法学部と医学部を有さない場所は多々存在する。例えば私が現在所属するPurdueには法学部と医学部は存在しない。が、これはある程度知られている(?)と思うのだが、アメリカでは法学と医学の専門課程は大学院から始まる。これが、いわゆるLaw SchoolとMedical School。そのため、大学によってはLaw SchoolやMedical Schoolを有さない大学も多数あるのだ。が、このことについてはまた別の機会に詳しく書くことにする。


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2011年4月4日月曜日

日米大学比較~二重専攻と副専攻

超久々に日米大学比較シリーズです。前回から何と、約4ヶ月間ぶりになってしまったが、とにかく、日米大学比較シリーズはまだまだ続きます。

まずは、前々回書いた日米の授業履修システムについてのおさらい。

基本的に日本においては、各学生の所属学科と学年によって履修できる授業が決まっており、その中から授業を履修してくシステムになっている。

それに対しアメリカでは、各授業ごとにprerequisiteと呼ばれる、その授業を履修するための必要条件見たいのが決められていて、それさえ満たせば、専攻分野や学年などに関係なく誰でもその授業を履修できるシステムになっている。例えば「線形代数2」の授業を履修したければ「線形代数1」がprerequisiteとなっていてそれさえ満たせばOKみたいな感じで。


このことを頭に入れた上で、今回の日米大学比較は「二重専攻と副専攻」について。


日本の場合

日本の大学のみを知る人はそのもそのこの「二重専攻」とか「副専攻」って何?って思った人もいるかもしれない。そう、日本の大学にはそもそもこのような制度は存在しないし、そんな概念すら無いようにも思える。

基本的に「二重専攻」は二つの異なる分野を同時に専攻することで、「副専攻」とは専門分野以外に、別の分野を専門とまでは言わないまでも、ある程度のレベルまで修めること、とでも言えばよいだろうか。

そして、アメリカにおいては二重専攻も副専攻も一般的に行われている事なのだ。

という訳で、

アメリカの場合

二重専攻は英語でdouble major。副専攻はminor。

では具体的にこれらはどのように行われるかを以下に書こうと思う。

まず、一番初めに書いたように、アメリカの大学における授業履修はprerequisite制とでも呼べる制度になっている。そう、ただ授業を履修するだけなら、prerequisiteさえ満たせばどの学生でもその授業を履修できてしまうのだ。

で、基本的にアメリカの大学で各分野で学士号を取るというのは、各学科ごとに決められた卒業に必要な授業で単位を取るということで、prerequisite制というシステムの中では、上手くやれば二つの異なる学科で卒業に必要な単位を取ることだって十分に可能になる。これがdouble majorと呼ばれているものである。

つまり分かり安くいえば、単に二つの分野で卒業に必要な単位を取れば、二つの分野で学位がもらえるってこと。

また、さすがに二つ専攻ってのはちょっとしんどいけど、学位認定までとは行かなくても、その半分ぐらいまで取れば、minorという形で学位におまけのようなものが与えられる。これが副専攻。厳密には、各学科ごとにminorを取るための条件は具体的に決められていて、別に正確に「専攻の半分」って意味では無いのだが、まぁ、感覚としてそんな感じって事。


基本的にはアメリカの大学における自由な履修システムの中でこそ可能な制度のようにも思える。


ところで、二重専攻というからには、通常の倍の単位を取らなければいけないのか?と思うかもしれないけど、基本的には、例えば一般教養の単位はどの専攻でも共通だったり、また、ひとつの授業が二つの分野の学位に必要な単位としてカウントされる場合も多々ある。

例えば、数学の必修科目の授業のいくつかは物理の選択科目単位としてもカウントされる、みたいな感じで。

そのため、上手く授業を組み合わせて行けば、二重専攻と言っても、実際に必要な合計単位数は、専攻が一つの場合よりも少し多いぐらいで収まることも多々あるのだ。

特に、二つのある程度近い分野(例えば数学と物理とか)を二重専攻、又は、片方が主専攻でもう片方が副専攻、みたいな感じにすれば、二重専攻や副専攻は、かなり可能になるし、実際、多くの学生が行っていることなのだ。

典型的な、二重専攻や主専攻と副専攻の組み合わせは、数学がらみで言うと、

数学と物理、数学とコンピュータサイセンス、数学と経済学、数学と哲学、数学と心理学、数学と生物学

といった辺りがよく見かける例だと思う。


でも、この理屈で言えば、二重専攻どころか三重専攻や四重専攻とか、副専攻を2つや3つ、なんてことも可能になるのだが、実際問題として三重専攻以上はさすがに(4年以内で卒業することを考えたら)無理だろうし、また大学が(授業を履修するだけなら自由だが)学位を出すという点においては三重専攻は認めていない場合もある。

が、私の友人で一人、学部時代、なんと数学と哲学と化学の三重専攻をしたという人がいるから、三重専攻も不可能ではないようにも思える。ちなみにこの友人はその後、Yale大学の大学院(数学)に進みPh.Dを取得したほどであるから、彼がいかに優秀で勤勉な人物かが良く分かる。

また、副専攻を2つというのは、意外と可能で、たまにそういう例は見かけたりはする。


以上のような感じで、二重専攻や副専攻が行われて行くのだが、この事からも、アメリカの大学のシステムって、日本とは比べ物にならないぐらい自由で柔軟性に富んでいる事が分かる。


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2010年12月12日日曜日

日米大学比較~大学院レベルの授業の履修

日米大学比較シリーズ、今回は前回書いた授業履修システムに関する記事の補足。

前回書いたように、日本において各学生がどの授業を履修できるかはその学生の学部学科と学年に決定されるのに対し、アメリカでは各授業のprerequisiteさえ満たせば基本的に専攻分野や学年などに関係なく授業の履修が可能になる。

つまりその理屈で言うと、アメリカでは学部生が大学院レベルの授業を履修することだって可能になるのだ。日本の大学ではこれは当然のように不可能である。

専攻分野選びに関して、「まずやりたい事を決める」のではなく「色々な事をやりながら、徐々に自分の専門を絞っていく」というのがアメリカ流であると書いた。

が、それでも大学入学した当初から、例えば

「俺は数学にしか興味がない!!数学一筋で行く!!」

って思っている人だっているであろう。が、実はこういうタイプの人にもアメリカのシステムは実に優れているのだ。

つまり、prerequisiteさえ満たせば基本的にどんなレベルの授業でも履修出来てしまうため、例えば「自分には数学が一番」と分かっている学生なら、数学の授業をガンガン履修していき、学部の時から大学院の授業を履修することも十分に可能なのだ。

実際、私の現在いるPurdueの数学科などで優秀な学部生は大体、学部の最後の年は大学院の授業を履修したりしている。

例えば、ちょうど一年前に私が担当した線形代数の二学期目の授業で一番優秀だった学生は、前学期から大学院レベルの授業を履修しており、現在は大学院に出願中である。

基本的に彼のようにPurdueぐらいのレベルの大学で優秀だった学生は学部の時に大学院レベルの授業をかなりのところまで履修して、大学院はハーバード大学やプリントン大学や、そこまでは無理でもそれに準ずるようなトップレベルの大学に進んだりすることになるのである。


と言っても、こういう人が必ずしも数学者として成功するとも限らないし(参照記事1)、またあまりにも「数学一筋」だと、あるとき突然「数学以外の事も...」という思いに取りつかれるかもしれない(参照記事2)ので、これが必ずしも良いとも思わないのではあるが、それはまた別の話である。


話を戻すが、このような理由のため、アメリカの大学で数学が好きな人はどんどん学部時代にかなりハイレベルな数学を学んだりもする。

日本人は「アメリカの大学での数学のレベルは低い」と勝手に思ってるふしがあるように思えるのだが、トップレベルの私立大学の大学院にはこのように、学部の時点で大学院レベルの授業を履修した学生が集まったりするので、そういう点では「アメリカの数学のレベルは低い」というのは憶測を交えた単なるまやかしに過ぎないのだが、このことままた別の機会に詳しく書くことにする。


そして、もちろんこのことは数学以外の分野にも当てはまる。


つまり、アメリカの制度は先に進みたい人はどんどん先に進む事も出来るという点においても、日本よりも優れていると断言できる。



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2010年12月7日火曜日

日米大学比較~授業履修システム

前回、日本とアメリカの大きな違いとして、アメリカでは専攻分野を変更する事が可能である点を挙げたが、これから数回に渡り、このことに関してもう少し具体的に書いていこうを思う。


今回は授業履修に関して。


日本の場合

日本の大学において、どの学生がどの授業を履修できるかを決定するのは所属学科と学年である。

基本的に××学部××学科×年生用の授業といいったある種の「枠」があり、その中で履修する授業を選ぶシステムになっている。

つまり「学科」とうい横方向の枠と、「学年」という縦方向の枠。この二つの枠の中で、かなり不自由な授業履修をしなければならないのだ。

もちろん、各大学や同じ大学でも各学部学科によって、この「枠」の自由度というものがある程度は存在するのではあるが。

例えば、××学部の全学科共通科目のようなものもあったり、1、2年生共通科目とか3、4年共通科目、みたいなものもあったりするのだが、どの授業の履修が許されるかは所属学科と学年によって決定されるという点に変わりはないのだ。


そして、いわゆる日本の文科系の場合の方がこのような自由度が大きいような感じである。そして、最もこの自由度が無いのが医学部と工学部である。

そして、この「(ある程度の自由度はある)枠」を越えたところでの授業履修はまず不可能である。いわゆる「他学科履修」みたいのが可能な場合もあるのだが、かなり限定的であり、「学科」よりもさらに大きな区分である「学部」を越えた範囲での履修となるとさらに難しくなる。

例えば、英文学科の学生が数学科の授業を履修することなど100%不可能と思える。

そう、日本の大学では専門分野を変更する事が不可能なだけでなく、他分野の授業を履修することすら不可能に近いのだ。

そして、年度初め(つまり四月の初め)にその年の履修届けを出す形になる。



アメリカの場合

アメリカの大学において、誰がどの授業の履修を許されるかは、学年や各学生の学科(専攻分野)とほぼ関係のない「prerequisite制」とでも呼ばれるシステムになっている。

それを説明するために、まずアメリカの大学では、各授業にはcourse number(授業番号)と呼ばれるものが付けられている。例えば私が来学期教える授業の一つは線形代数の二学期目の授業なのだが

MA 353  Linear Algebra II with applications

みたいな感じある。初めのMAはmathの略で要するに数学という意味。そして、その後の353というのがその授業のレベルを表す。番号の振り方は大学によって結構異なるのだが、基本的には番号が大きければレベルの高い授業と言う意味になる。

Purdue大学では0~200番代の番号が振られた授業がいわゆる基礎科目のようなもので、300~400番代が学部レベルの専門科目。500~600番代が大学院レベルの授業になっている。

もちろん、数学以外でも同様で、例えば哲学科の近代哲学史の授業は

PHIL 303  History of Modern Philosophy

みたいな感じである。もちろん、PHILはPhilosophyの略。



で、各授業にはその授業を履修できるための必要条件とでも呼べるようなものがある。これがprerequisiteと呼ばれているものである。

例えば、上に挙げたMA 353のprerequisiteは

MA 265 with grade C- or better, or MA 351 with grade C- or better

とある。つまり、MA 265かMA 351(どちらも線形代数の最初の授業)でCマイナスかそれよりも良い成績を取っていること、という意味。

そして、MA 265とMA 351には、さらにそれぞれにprerequisiteが決められている。


また、PHIL 303のprerequisiteはなんと


prerequisite無し!!


である。


そして、基本的にこのprerequisiteさえ満たせば(学費さえ払えば)各学生の専攻分野や学年などには一切関係なく誰でも履修出来てしまうのである。もちろん理系・文系なんていう分類も存在しないのだ。


つまり、MA 353であればMA 265かMA 351でC-以上の成績を取っていれば、それだけで履修できる事になり、さらにPHIL 303はprerequisiteが無いためpurdueの学生であれば誰でも履修出来てしまうのだ。


基本的にこのprerequisiteというのは学生がその授業についていけるかどうかを決定するためのものであり、例えばMA 353の授業内容はMA 265かMA 351でカバーされる内容をベースとするものになるので、この二つのどちらかで最低限の成績を取っているいる事が要求されており、哲学のような学問は数学とは異なりあまり「積み重ね」が要求されず、例えばPHIL 303は特に別の授業の内容をベースにする訳でもないので、prerequisiteが無いのである。



そして、アメリカの大学では毎学期履修届けを提出するシステムになっている。そう、毎学期、自分の取りたい授業や取らなければいけない授業をprerequisiteを満たす授業の中から履修する感じになる。


とにかく、こんな感じで日本とは比較にならないほどに自由に好きな授業を履修できるのだ。


でも、そんなシステムで「人気の分野に学生が集中しすぎたりしないのか?」と思う人もいると思うのだが、この辺の事はまた別の機会にでも書こうと思うのだが、意外とその辺は問題にならずに上手く回っている、というのがとりあえずの結論である




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2010年12月2日木曜日

日米大学比較~専攻分野選び

ちょっとだけ久しぶり(?)に日米大学比較。今回は専攻分野選びについて。

このことは、私が思う(アメリカの大学と比べて)日本の大学の最大の欠点というか欠陥でもある。そのため、ある程度の回数に分けて書こうと思うのだが、今回はとりあえず大まかな点を書くことにする。

日本の場合

日本の大学では(一部の例外的な大学を除いて)基本的に専門分野は大学入試の時に決めるもの。多くの場合は、希望の学部と学科を願書提出の際に決める必要がある。そして、大学入試自体が学部ごと(大学によっては学部だけでなく学科ごと)に入学試験が異なっている場合もある。

基本的に大学を受験するというよりは、希望の学科を受験する、といった感じになる。

そして最も重要なのは、基本的に入学後は専攻分野を変更できない、という点である。

日本での感覚では「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれないが、この事を(日本の事情を知らない)アメリカ人に話すと、とんでもなく驚かれる。



何故かと言えば、



アメリカの場合

アメリカの大学では基本的に専攻分野を出願時には決める必要がないのである。別に決めても構わないが、通常は大学に入学してから専攻分野を決めれば良いのである。

そう、大学に入学していくつか、色々な分野の授業を履修しながら、自分の好きな分野を専攻分野(major)として選ぶようなシステムになっている。

さらに、一度専門分野を決めた後も「やっぱ他の分野がいいかなぁ~」と感じたら、分野を変更することも全然オッケー。

例えば以前、私がUPennにいた時、学部(Undergraduate)のAdmission Office(入学審査科って訳すの?)の人の話を聞く機会があったのだが、UPennに入学してくる学生の訳半数は入学時には専攻分野は決まっておらず、残りの半数の多くも結局は入学後に別の分野に専攻を変える、とのこと。



そう、結局ほとんどの学生が、何がやりたいか分からずに大学に入学するのだ。



そして、それで良いのである!!



基本的な発想として、

「まずやりたい事を決める」

のではなく

「色々な事をやりながら、徐々に自分の専門を絞っていく」

というのがアメリカ流なのだ。


でも、日本でも結局ほとんどの学生が大学で何が学べるのか分からずに大学に入ってくるように私には思える。アメリカとの違いは、日本の場合、出願する時に専門を決める必要があり、入学後はそれを変更することもまともに出来ないとこにある。


これこそがアメリカと比べた時の日本の大学の最大のdownsideと思っている。


日本人は良く、


「まず初めにやりたい事を決めて、目的を持ち、ベクトルを定める。そうでなければ駄目だ!」


みたいな事を言いますが、個人的にはこのような根拠のない「日本人的精神論」のようなものが現在の不自由な制度を作ってしまっているようにも思える。


アメリカでは、人生のベクトルは、その時の状況や個人の興味関心の変化に応じて、段階を追って徐々に定めて行くものなのである。


このような発想の違いは実は学部だけでなく、大学院にも言えるように思える。もちろん大学院はアメリカでも初めに分野を決める必要がある。数学なら数学科に出願しなければならない。でも「数学の中で、どの分野?」という話になると、別にそこまで細かく決める必要は全くなく、大学院に入ってから、数学の中でも色々な分野の授業を履修して、段階を追って数学のどの分野に進むかを決めるものなのである。

例えば私は現在、保型表現論という分野を専門にしているのだが、UPennの大学院に進んだ時にはそんな分野が存在する事すら知らなかったほどである。でも、それで良いのである。


結局、私が思うに、重要なのは

「まず、何がやりたいか」

ではなく

「色々な事をやりながら、何をやりたいかを決めていく」

という姿勢で、アメリカの大学(院)の制度はそのような発想に適したシステムになっているのだ。


でも、日本人留学生の中にもこの違いがいまいち分かっていない人とかいたりして、相変わらず上に上げたような日本人的精神論で行動してしまう人とかもいたりするのだが、そんな日本人を見かけたりすると、せっかくアメリカのflexibleなシステムがあるのに、それを生かそうとしていないのは、もったいないなぁ~、とも思ったりする。



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2010年11月17日水曜日

日米大学比較~学年

まだまだ続く日米大学比較。今回は学年について。

日本においては大学だろうがどこだろうが、学年というのはとんでもなく重要なものである。学年が一つでも異なればそこには先輩・後輩という上下関係が生まれ、使う言葉はもちろん、基本的に人間関係の骨格をなすのは言うまでもない。そして、そのような上下関係を無視しようものなら、それはそれは大変なことになりかねない。

それに対しアメリカではそんな学年差による上下関係を基調とした人間関係など基本的に皆無で、学年なんて関係なく皆が対等な人間関係を送ることになる。

ちなみに、この違いが分かっていない日本人留学とかがたまにいたりして、アメリカに来てまでも先輩・後輩といった上下関係を持ち出してしまう人とかがいるのがだ、こういう日本人留学生を見かけるたびに「なんだかなぁ~」と思ったりもし、同じ日本人として恥ずかしくなったりもしてしまう。


って、そんな事が今回の内容なのではなく、実は日本とアメリカとでは、学年というものの意味が大学の制度の中で大きく異なるのだ。


そんな訳で、ここからが本題。


日本の場合

日本の大学において学年というのは、上に書いたような人間関係においてのみならず、制度のなかでも重要な役割を果たす。その最たるものが授業の履修である。基本的に学年によって履修できる授業が決められており、1年生用の授業、2年生用の授業、3年生用の授業、4年生用の授業、みたいな感じで、同じ学年の人同士が同じ授業を履修する。

そして、多くの大学で、各学年ごとに「進級条件」のようなものがあり、具体的には必須になるような授業や単位数のようなものを満たさなければならない。

そして、もしこのような進級条件を満たすことができなければ、同じ学年をもう一度やり直すことになる。これこそが「留年」である。

そして、一度留年してしまえば、それはその人の人生の汚点として一生付きまといかねないのだ。

例えば、就職の面接とかでも、留年した人には、必ずと言っていいほど「留年した理由は何か」といったような質問が浴びせられたりもする。


そんな感じで、日本においては「学年」と言うのはものすごく重要なものなのである。



アメリカの場合

おそらく辞書や表面をなでただけのような留学ガイドの類をみたら、アメリカの各学年に対する訳として

一年生・・・・Freshman
二年生・・・・Sophomore
三年生・・・・Junior
四年生・・・・Senior

とかって書いてあると思う。もちろん基本的には間違えではないのだが、アメリカの大学においては、このFreshmanとかSophomoreとかの分類というのは基本的には便宜上、修得した単位数に応じて付けられる呼び名のようなものに過ぎないのだ。例えば

Freshman・・・・0~29単位を修得した人
Sophomore・・・30~59単位
Junior・・・・・・・60~89単位
Senior・・・・・・・90単位以上

みたいな感じで(単位数に関しては前回と初回を参照)。

そして、日本と大きく異なるのは、基本的にこの「学年」というのが授業履修においてはほとんど、何の意味も持たないことにある。つまり、Freshman用の授業、Sophomore用の授業、みたいな感じで授業が割り当てられるようなシステムにはなっていないのだ。

では、どうやって誰がどの授業を受けられるかが決まるのかと言えば、アメリカでは「prerequisite制」とでも呼べるようなシステムになっているのだが、このことに関しては、多分、次の次ぐらいに書くことにする。

とにかく、このような事情から、基本的に「留年」などという制度も概念も基本的に存在しないのである。

そう、アメリカの大学においてはFreshimanとかSophomoreとかいった「学年」は大した意味を持たないのだ。


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2010年11月11日木曜日

日米大学比較~卒業に必要な単位数

という訳で(?)、再び日米大学比較です。

今回は卒業に必要な単位数について。前に書いたように基本的な授業時間と単位数は以下のような感じ。


日本:一コマ週90分の授業が半年で2単位

アメリカ:一コマ週150分の授業が一学期間で3単位


ちなみに、アメリカにはセメスター制(二学期制)とクオーター制(三学期制)がありこの二つで微妙に異なるのだが、この違いについては別の機会に書くことにして、とりあえずここではセメスター制を前提として書くことにする。


で、日本でもアメリカもで卒業に必要な単位数は大体120~130単位。もちろん大学によってある程度異なるし、同じ大学でも専攻分野によっても異なるが、基本的にこのぐらいが卒業に必要な単位数。


ということは毎学期大体どのくらいの授業数を履修することになるか?


話を簡略化するために、とりあえず卒業に必要な単位数が120単位と仮定する事にする。


単純に4で割ると年間30単位。さらに2で割ると半年(アメリカで言う一学期間)あたり15単位ということになる。

ということは


日本:約8コマ、週90分×8=720分=12時間
アメリカ:約5コマ、週150分×5=750分=12.5時間


ぐらいを常時履修していれば4年間で卒業に必要な単位を取れることになる。時間数的にはあまり差はない。

しかし、これはあくまでも時間数であって、アメリカの場合、授業のメインは宿題(参照記事)であったり、日本でも、専攻によっては実験とかゼミとか実習とか、特種な形態の授業もあったりするために、まぁ、そう単純に授業時間だけでは比較はできないのではあるが。


が、現実はさらに複雑なものなのである。


という訳でここからが本題。


日本の場合

まず日本の場合。いわゆる日本で言うところの文系の場合、大学4年目はただひたすら就職活動に専念しなければならない現実がある。

ちなみに、私の時代は「超氷河期」と言われた時代であったため、文系の学生(特に女子大生)はそれはそれは過酷な就職活動を余儀なくされた。


そして、理系の場合、大学4年生は基本的に卒業研究のために研究室に入り、研究に従事する事になる。私も機械工学科だったために、その例外ではなく、研究室に入れられた。ちなみに、そこで行われることは卒業研究という名の下の教授の研究の手伝いであるwww。

でもその代償として(?)、文系のような過酷な就活をせずとも、就職が決まったりもする。

私の周りの友人知人たちも、「超氷河期」にも関わらず、スイスイと大企業に就職していった。


このような理由により、結局、理系だろうが文系だろうが、大学4年では授業の履修はかなり限定的になる。もちろん卒業研究も単位が出るのだが、単位数としては私の場合は4単位だけであった。


つまり、結局のところ、3年の終わりまでに、卒業に必要な単位のほとんどを取らなければならないのだ。という訳で、その事を前提に計算し直すと年間120÷3=40単位。つまり、半年で20単位。ということは、通常

約10コマ、週90分×10=900分=15時間



ということになる。



アメリカの場合

アメリカでは専攻分野に関わらず、卒業研究はoptionalの場合が普通。つまり、卒研は選択科目でやりたい人だけがやる事になる。

さらに、就職活動も、日本と異なり軽め。終身雇用なんて発想のかけらもないアメリカでは最初の就職なんて、いわば「様子見」。所詮は「最初の仕事(first job)」に過ぎず、一生その職場にいることなんてまずあり得ないため、就職活動も軽めになる。さらに「新卒」などという枠もないアメリカでは、卒業してから就活を始める人だっているぐらい。

このような事情から、大学4年目でも授業の履修は3年までと同じような感覚になる。

そんな訳で上の計算通りの履修をしていけばオッケーってこと、と思うかもしれないが、これは卒業に必要な単位数が120と過程した場合の話であり、これは最低ラインで、多くの場合は125~130ぐらいが実際のところ。ちなみにPurdueの数学科は最低124単位。多い場所では130を越えることもある。

そこで、仮に132単位とするとどうなるか?4で割って年間33単位。さらに2で割って各学期16.5単位。つまり学期平均5.5コマということになる。

例えば秋学期に5コマ、春学期に6コマ

みたいな感じで履修していけばなんとか足りる計算になる。




が、




前回書いたように(参照記事)アメリカの授業はただひたすら、宿題、宿題、また宿題。そのため、おそらく一学期間に5コマ取ったら、おそらくそれで限界。場合によっては4コマでも相当辛い場合もある。実際アメリカの大学で授業を受けた人には痛いほど分かるとは思うのだが。

そして、6コマなんて取ったら、地獄を見ることになりかねない。

つまり、卒業に必要な単位を最低の120としてもギリギリといった感じになるのに、多く見積もって130以上としたら


4年で卒業なんて無理だよ!!


ということになってしまう。



そこでどうするか?


① 5年間かけて卒業する。

② 要領良く、それほど宿題のきつくない授業とそうでない授業を織り交ぜて、毎学期なんとか履修を上手く行うようにする。

③ サマースクール(夏休みの授業)を取る。

といった辺りが、その対処方である。

日本の大学しか知らない人にはどのオプションも、いまいちピンとこないかもしれないが(特に①とか)、これらの事に関しては、別の機会に書くことにする。



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2010年10月29日金曜日

日米大学比較~学期中の宿題

前回の日米大学比較第一回目では、授業時間の違いについて書いたが、今回は、学期中に出される授業での宿題について。

ちなみに、前回と同様、今回も通常の講義中心の授業での宿題についてであって、実験とかゼミとかといった特殊な形態の授業ではないので、ご注意を。

また、ここで言う宿題とは、学期末とかに提出する(期末試験代わりの)レポートのようなものを指すのではなく、学期中に定期的に出される宿題のことを指します。


日本の場合

まず、日本の場合から。日本の大学では通常の授業では宿題が出されることは、ほぼ皆無に近い。たまに、ちょっとしたレポート提出みたいのがあるけど、かなり軽め。数学や物理のような科目でも、まぁ、ちょっと演習問題を解いてそれを提出するぐらいのが、多くてもせいぜい隔週であるぐらい。

でも、宿題なんて全く無いのが基本。

基本的に日本では、教授が講義をして、それが学期の初めから終わりまで続くだけ。学生に要求されるのは、基本的に授業に出席して、ノートを取ることぐらい。

そんな感じだから、前回に書いた1コマ90分の授業を1日に2~4コマぐらい月曜から金曜まで合計10~18コマぐらい履修する感じになる。



アメリカの場合

日本とは異なりアメリカではこの宿題が授業のメインとなる。

アメリカではほぼ全ての授業において、毎週宿題が出される。これは、授業のレベルにほぼ関係なく、また、学部レベルだけでなく大学院レベルにおいても、同様。さらに上のレベルに行けば行くほどに、宿題の量と質ともに、どんどんキツクなってくる。

具体的には、数学のような科目であれば、教科書の章末問題のようなものから問題がピックアップされ、宿題として出されることになる。一番典型的なパターンは、毎週一回授業の初めとかに宿題を提出する事になる。

もちろん、場合によっては、毎回宿題を提出しなければいけない授業もある。つまり、週三回、月水金の授業なら、週三のペースで宿題を提出しなければならない。これは結構きつい。って、私が今学期受け持っている線形代数の授業では、毎回宿題提出にしているけどw。

でも、もちろんこれは数学の場合であって、他の科目の場合はどうかというと、例えば、コンピュータサイエンスのプログラミングの授業を履修したら、ほぼ毎週、何らかのプログラムを書いて提出しなければならなかったりする。

それ以外には、いわゆる、人文系や社会系の授業では、教科書や論文の類を読むことが中心となるため、「次の授業までに、教科書○○ページから××ページまで読んできなさい」的な感じの宿題が出される。このタイプの宿題を一般にreading assignmentと言ったりする。

また、reading assignmentだけでなく「読んだ内容をレポート数ページ以内にまとめたもの提出しなさい」的な感じの、いわゆるwriting assignmentも出されることがある。


まぁ、教科によって、また同じ教科の中でも、各授業によって内容や量にある程度のバラツキはあるものの、アメリカの大学では基本的にこの宿題に追われるだけの日々が永遠と続くことになる。

基本的に前回説明した一週間に150分の授業であれば、大体授業時間の2~3倍の時間を宿題に費やすことが要求される。つまり、各授業あたり一週間に5~8時間ぐらい。

そんな理由により、アメリカでは学部の場合、毎学期せいぜい履修する授業数は4~5コマぐらいに限られてる。実際、講義の時間が150分で、仮に宿題に8時間(480分)必要だとしたら、授業一つに対して講義の時間と合わせて合計630分(10時間半)という計算になる。もしそれで授業5コマ履修したら、全部で52時間半ってことになる。つまり土日も休まず勉強しても毎日7時間以上は勉強の時間ってこと。

そう、アメリカの大学は皆そんな感じの日々を送る事になるのだ。

で、これは基本的に学部の場合であって、これが大学院になると、さらに過酷さを極める事になるのだが、大学院の事は、また別の機会に書くことにする。

まぁ、そんな訳で、各学期、履修する授業の数自体は日本よりも少ないが、授業外でやらされること(宿題)がやたら沢山あり、それがメインになるのがアメリカの大学である。




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2010年10月21日木曜日

日米大学比較~授業時間

昨日、予告したように日米大学比較を始めます。第一回目は軽め(?)に授業時間の日米比較。

ちなみにここで言う「授業」というのは、実験とかゼミとかのような特殊な形式の授業ではなく、普通の講義中心の授業のこと。



アメリカの場合

基本的にアメリカの場合、各授業時間は一週間に150分が一般的。一日に150分行う場合もるし、週二回で一回が75分の場合もあるし、週三回で一回が50分の場合もある。

週二回になった場合、一番多いのが火曜日と木曜日に一回ずつのパターン。たまに、月曜と水曜とか、水曜と金曜とかのパターンもあるけど、前者の方が圧倒的だと思う。

週三回の授業ではほぼ間違いなく、月水金に一回ずつのパターンになる。

週一回の場合は、どの曜日でも行われうるが、多くの場合途中で5~10分ぐらいの休みをが入るのが普通。でも、基本的にこの辺は担当教員の完全な気まぐれによって決定される。

ちなみに、数学の場合、週一回のパターンはほぼ皆無と言える。私も一度も経験したことがない。これは、数学という学問の性質上、週一回だけの授業は効率が悪いためと断言できる。数学は毎日少しずつ学んでいくタイプの科目であるため、学生の理解度という点で、最低でも週二回に分ける必要があるのだ。

それに対し、例えば、いわゆる人文系の学問は週一回だけのパターンも結構あったりする。これもやはり学問の性質上、それでも特に問題ない場合もあるからと思うわれる。

また、アメリカの場合、いわゆる通年の授業はほとんどなく、各授業は一学期間(休日とかも入れて約15週間)続き、週150分の授業だと3単位(3 credits)が与えられる。

また、数学の場合だと、学部の特に1,2年レベルの授業では、通常の講義に加えて、週50分間の演習の時間(recitation)が付いている場合がある。その場合、例えば月水金の講義なら、火曜日か木曜日に演習の時間があり、講義が火木だったら、月水金のどれかに演習の時間がある。基本的に(大学院のある大学であれば)この演習の時間は大学院生が担当する事になる。で、演習付きの授業の場合、4単位が与えられる。



日本の場合

日本の場合、分野に関係なく、ほぼ全ての授業が一週間に一回90分行われる。

私自身、日本の大学は一つの大学しか経験していないのではあるが、この辺はかなりかなり統一されているように思える。(っていうか、そうじゃないパターンを知っている人は教えてください。)

でも、数学や物理などの授業では、やはり演習の授業が付いている場合もある。その場合、隔週で50分の演習が行われるようである。というか私の場合はそうだった。ただ、この辺の細かいところは、私自身、日本の大学での経験がそれほど多くないため、どこまで一般化出来るのかは不明ではあるが。

ちなみに、日本だと半年間で終わる授業もあれば、通年の場合もある。半年間のものだと、各授業2単位。演習が付くと3単位。通年だと4単位。この理屈たど、演習付き通年の授業だと6単位という計算になる。

ちなみに、以前、ドイツ人の友人とこの授業時間について話をしたことがあるのだが、ドイツの大学では、この点では基本的に日本と同じようなシステムらしい。日本はドイツの制度を真似たから?




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2010年10月20日水曜日

日米大学比較~予告編

結構、くだらないことが多い「大学教員」のブログではあるが、これからは少しぐらいは役に立つような事も書いていこうと最近思い始めた。

で、とりあえず、これから少しずつではあるが日本とアメリカにおける大学、特に学部教育の違いについて「日米大学比較」と題して、書いていこうと思う。

私は、学部は日本で卒業し、その後、大学院生としてアメリカに渡ってきたのではあるが、アメリカに来た当初は、書類上は大学院生ではあったものの、実際は学部生のような状態で、学部レベルの授業も色々履修した経験がある。

そして何よりも、現在はアメリカの大学で基本的に学部生向けの授業を教えている。

そんな私のような者のみが、日米の学部教育の違いについて本当に語れる資格があるように思える。

そして、私は常々「やはりアメリカと日本とでは、学部教育という点においては、もはやアメリカの方が断然優れていると言わざるを得ない」と思っている。

そんな訳で、これから、日米大学比較シリーズを始めたいと思う。

と言っても、書く内容の多くは、日本とアメリカの両方の大学(学部レベル)を経験した事のある人には「何をいまさら」的なものになるのもまた事実ではあるが。



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