2015年2月9日月曜日

日米大学比較〜授業中のおしゃべり

久々のブログ再開を記念して、これまた久しぶりに日米大学比較シリーズ。なんと約2年ぶりの日米大学比較。

で、とりあえず本題に入る前に今までの復習(w)

基本的に日本とアメリカの大学において最大の違いの一つは

日本:受験の際に専攻する学部学科を決める必要があり、入学後は変更が極めて困難。

アメリカ:専攻分野は大学に入ってから徐々に決めて行くもの。

このような相違から、授業の履修の仕方も大きく異なってくる。

日本:どの授業を履修できるかは各学生の所属する学部と学科及び学年によって決定される。

アメリカ:prerequisite制(参照記事)とでも呼べるような制度になっている。


そのため各授業でのクラスメートの顔ぶれも

日本:各授業、似たような顔ぶれが4年間続く。

アメリカ:毎学期、毎授業、顔ぶれがめまぐるしく変わって行く(参照記事)。


で、これらのことをふまえて今回のテーマ「授業中のおしゃべり」について書いてみることにする。



日本の場合

まぁ、結構授業中はおしゃべりをしたりする学生がいたりして、騒がしくなったりする事が多々ある。それもそのはずで、クラスメートの顔ぶれが4年間同じだったりする訳だから。

と言っても、最近では大学生はかなり大人しくなり授業中の私語は昔と比べてかなり少なくなったらしいと聞くのだが、私が日本の大学で学生をしてた頃は(授業にもよるが)おしゃべりをする学生などはかなり多かったのを覚えている。



アメリカの場合

私の学生及び教員としての経験上、アメリアの大学の授業において、授業中の私語はかなり少ないと断言できる。それもそのはずで、上に書いたように、各授業ごとにクラスメートの顔ぶれがかなり異なりうるため、言ってしまえば「おしゃべりをしたくてもする相手がいない」といった感じになるのだ。特に学期が始まったばかりの時期とか。

もちろん、学期が進むにつれて仲のいい友達とが出来ても、また新学期が始まれば「あれ?あの人見なくなっちゃたけど、どこに行ったんだろう?」みたいな事があったりして、まぁ、なかなか「授業中におしゃべりをする相手」を作るもの簡単でなかったりするのだ。

さらに、私が思うに、アメリカの大学では曲がりなりにも専攻分を学生が選ぶ事が出来るため、ある程度「自分の意志で授業を選択している」という感じが強くなるが、日本の場合、結局「大学で何が勉強できるかイマイチ分からないけど、合格したから入学した」といったような感じが強くなってしまい、「自分の意志」というよりは「授業を受けさせられている感」が強くなってしまうことも、日本の方が圧倒的に私語が多い理由に上げられるように思える。



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1 件のコメント:

あずぴか さんのコメント...

確かに日本の大学は授業の選択肢が少ないので受けたくなくても受ける授業があるよね。逆に受けたくても受けられないのが不満だったなぁ。
日本の大学の先生で教える気あるのかな〜って授業もおしゃべりを助長する一因なのではないかと思うな。
私は教員の熱意も学生さん達を刺激すると思っているからかな?しかしそれも学生さん達の意欲が感じられないと先生方も熱心になれないか。(^ ^)