2010年9月20日月曜日

フィールズ賞に思うこと

先月、Ngoのフィールズ賞で大騒ぎをしておいて(参照記事)、なんか矛盾するような(?)内容になるかも知れないが、私がフィールズ賞について思ってる事を書くことにする。

ところで、そもそもフィールズ賞って何?って人は、Wikipediaにリンク張っといたから、それでも読んでくださいませ。って、それもめんどくさい(?)。全く、しょうがないですなぁ~。ではそういう人のために。

フィールズ賞とは四年に一度のICM(国際数学者会議)で、優れた研究成果を上げた40歳以下の数学者に与えられる数学界で最も栄誉あるとされる賞であり、数学のノーベル賞とも呼ばれている。ちなみに、日本人の受賞者は今のところ三人。

まぁ、フィールズ賞を一言で言い表せばこんな感じになる。


でも、これってなんかおかしくないかい?


数学って以前にも書いたけど(参照記事)、長~い、長~い時間の積み重ねが要求されるゲームなのだ。そんな"old man's game"である数学においては

30代...若手
40代...中堅
50代...ベテラン
60代...その道の匠
70歳以上...数学神

ぐらいの感じである、とは以前にも書いた通りである。そんな数学において40歳以下なんて、完全に若手。それなのに、「数学のノーベル賞」と言われるフィールズ賞は40歳以下という年齢制限が付いているのだ。


何かがおかしい感じがする...。


人によってはこのフィールズ賞の年齢制限がそのおかしさの理由とするのだろうが、私はそもそもこの



「フィールズ賞≒数学のノーベル賞」



という図式に問題があるように思える。

本来フィールズ賞とは、数学のノーベル賞でもなんでもなく、若手奨励のために作られたものなのである。プロ野球に例えれば「新人王」といった感じであろう。

そんな「数学の新人王」であるはずのフィールズ賞がいつからか「数学のノーベル賞」などともてはやされるようになってしまったことに、そもそも問題があるように思う。

では、なぜ「数学の新人王」が「数学のノーベル賞」になってしまったのか?

理由は色々あるのだろうが、私が思うに二つの大きな理由があるように思う。

第一の理由は、数学にそもそもノーベル賞が無いことはもちろんのこと、ノーベル賞に限らず、そもそも数学には、他の分野(例えば、物理とか化学とか)と比べて、「賞」の類が伝統的にほとんど存在しなかったこと。(と言っても、この辺はここ10年ぐらいでだいぶ変わってきてはいるのだが。)

そして、二つ目の理由は、過去のフィールズ賞受賞の中には「新人王」などと呼ぶにはあまりにも、偉大すぎる業績を上げてフィールズ賞を受賞した人達がいること。例えばGrothendieckとか。


このような状況の中、4年に一度のビッグイベントであるICMで選出されるフィールズ賞が「数学のノーベル賞」として扱われるようになってしまったのではないかと思っている。


でも、やっぱり、40歳以下の「若手数学者」に与えられるフィールズ賞なんて、結局は「数学の新人王」に過ぎないのである。


プロ野球でも、新人王を取りその将来を期待されるもその後さっぱりで「あの人は今」的な人生を送る人もいれば、新人王なんか候補にすら上がることの無かったような人が歴史的な名プレーヤーになることもある。もちろん、新人王を取ってその後もその期待通りの活躍をし続ける人もいる。


数学の世界もそれと似ていることが言えなくも無い気もする。フィールズ賞を取るもその後いまいちな人もいるし、フィールズ賞を逃すも、その後とんでもない功績を残す人もいる。もちろん、フィールズ賞を取り、その後もそれに恥じることのない研究成果を上げる人だっている。


そして、4年に一回というフィールズ賞が与えられる頻度を考えると、実は、歴史に名を残すような大数学者のほとんどが、フィールズ賞を逃しているような感じもする。


例えは、私の研究分野に関連する分野で、多大な功績を残した「数学神」達の名を上げると、

Andre WeilHarish-ChandraGoro ShimuraRobert LanglandsJohn Tate、etc

み~んな仲良くフィールズ賞を逃している。


そんな「数学の新人王」であるフィールズ賞。あまり大騒ぎするべきものでもないのでは、と常々思っている。


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