久しぶりに日米大学比較シリーズ。
今までは結構大学の制度上の違いに焦点をあててきた感じがあるけど、これからは数回に渡って、学生の視点から見た日米での大学の違いについて書いてみようと思う。
今までの日米大学比較シリーズをまとめると、やはり日米での大きな相違点は授業の履修システムにあると言える。
日本の大学では基本的に各学生の所属する学部学科と学年という「枠」のなかで履修する授業が決定される。
それに対してアメリカではprerequisite制の元、各授業のprerequisiteとさえ満たせば学部学科や学年などの垣根など関係無しに授業を履修できるシステムになっている。(参照記事)
さらに、大学を受験する際に分野を決めなければならずその後変更も出来ないのが日本なのに対して、大学に入学してから色々な分野の授業を履修して徐々に自分の専門をしぼっていくのがアメリカ流。(参照記事)
このような制度上の違いは当然、各授業の学生の顔ぶれに大きく影響を与える。
つまり日本の大学では、学部学科と学年が同じのいわば「同期生」同士が毎学期同じような授業を履修するような感じになるので、授業の顔ぶれはなんかいつも一緒って感じになる。
つまり「クラスメートは4年間みんな同じ人達」みたいな感じと言えば分かりやすいだろうか。
ちなみに私は工学部であったため、この辺はかなり徹底していた。どの授業でも、周りを見渡せば皆知ってる人ばかり。基本的に皆、同じ学部の同じ学科の同期生って感じだった。
それに対してアメリカでは全くこの正反対。
毎学期、毎学期新しく授業履修をして、各授業ごとに履修している学生は全く異なる顔ぶれになったりする。
そして、各学生が専攻している分野も実に様々。
例えば前の学期に私がPurdueで担当した線形代数の上級レベルの授業。今ちょっと生徒のリストを見てみたけど、やっぱりいろんな分野の人がいる。数学はもちろん、物理を専攻している人。統計学の人。工学の人。さらには経済学専攻の人が一人に、なぜか英文学を専攻してる人も一人いた。さらには大学に入学して一年目の人から卒業間近の人まで様々。
そんな感じだから、学生の視点からすると、各授業ごとに顔ぶれが全然異なったりするのだ。
もちろん「あ、この人今学期あの授業でも一緒だな」とか「そう言えば、この子、前の学期はあの授業で一緒だったな」みたいなことはあるのだけど、結構同じ学期に複数の授業を同じ人と一緒に履修してることって少なかったりする。
もちろんこれは大学の規模によっても大きく異なるかもしれないけれど、一つの学期に3つ以上だれか別の人と同じ授業を履修していたら結構レアなパターンだと言えると思う。
さらに、専攻分野を変えたりする事とかも頻繁に行われるアメリカにおいては、学期が変わるごとに周りの人間の顔ぶれも結構頻繁に変わって行く。
その昔私がキャンパス内で体験した会話の一例であるが
「お〜、久しぶり。最近見なかったけど、今学期は数学はどの授業を取ってるの?」
「実は数学を専攻するのは止めて、これからは心理学を専攻しようと思ってるから、今学期は数学の授業は取ってないんだ」
みたいな感じの会話ってよくある会話だったりもする。
そのぐらい、クラスメートの顔ぶれがめまぐるしく変わるのがアメリカの大学なのだ。
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7 件のコメント:
はじめまして。
MUコロンビアを検索していて、おじゃましました。
わたしは大学生のときに交換留学生として1年間MUコロンビアで学びました。
なつかしいな、コロンビア。典型的なcampus town だったから、学生にとっては居心地のいい町でした。
きっとずいぶん変わったのでしょうね。
住み心地はいかがですか?
azamiさん、コメントありがとうございます。コロンビアに来てまだ日が浅いので何とも言えませんが、もう少しアジア人が多い方がいいかなぁ〜とも思っています。でも、物価が低いのは助かります。
私は筑波大学の学生ですが日本の大学では筑波大学はこのブログにあるアメリカの大学に近いような気がします。
はじめまして
私は現在M1で博士への進学を希望しているのですが指導教員からNGを出されました。
素質が無いということらしいです。
一見すると筋が通っていますがアメリカならば日本の院試レベルの数学が出来ればqualsを突破できますし、日本の修士では研究をさせませんから、そもそも何をもって素質を判断しているのかが全くわかりません。教員と話すのは週に1回1時間半のゼミぐらいです。
その先生がannals of mathmaticsだとかInvent.mathとかActa.mathのような雑誌にバンバン出してるスーパースターなら納得もしますが、そういう段違いの業績を持っているわけでもないです。
そこで質問というか相談なのですが、
アメリカではペーパー試験を突破すれば教員の独断や偏見は抜きにして、とりあえずは研究指導をしていただけるようなシステムになってるのでしょうか。
私のように研究前のコースワークの段階で素質が無いと言われて指導放棄のような形でドロップアウトさせられたりはあるのでしょうか。
研究をしていく上で業績が出せず、素質が無いと言われれば当然甘受するというか、自分で気づいて身を引きますが私の場合は単なる指導教員の怠慢のような気がするのです。
iZRAEさん、質問ありがとうございます。
人が人を評価するというのは難しいものです。個人的にはそんな簡単に各人の数学者としての素質など分かるものでは無いと思います。
以前にもブログで書いたことがあるのですが、数学者の道を目指すことは超長距離走を走るようなもので、修士レベルぐらいではそう簡単に素質云々を言えるような段階では無いと思います。その指導教員の言う事はあまり気にしない方が良いと思います。
そしてアメリカにおいては、指導教官というのは大学院入学後2〜3年の間に、各学生と教授との同意によって徐々に決めて行くのが普通です。もちろん、教授が素質無しと判断して、指導してもらえない場合もあり得ますが、その場合は別の教授を指導教官として選べば良いだけのことになります。
日本では指導教官の変更というのはやはり難しいのでしょうか?アメリカでは結構頻繁に行われる事なのですが。
お返事ありがとうございます。
指導教員の変更は正直申し上げて難しいと思います。
他大に出れば別なのですが現在東大なので納得もしていないのに外に出るというのはちょっと納得しかねます。
(学歴云々とうより、例えば解析学に力をいれている北大にいくとか、微分幾何が強い東北大に行くとか、ポジティブな理由で変わることには何の躊躇もないが指導教員が怠慢だからというネガティブな理由では という意味です)
そもそも日本にはテニュアトラック制度のような客観的な指標がないので余り魅力を感じておりません。
論文を読める段階には達しているので、実際に人事を見ればコネが横行していることが明らかです。
私は特段日本にこだわりがあるわけでもなく、発展途上国の大学(カレッジや高校も)で指導をするとか、純粋に数学者としての待遇を考えると余り良くはなくても十分な魅力を感じているので最近は海外で学位を取ることに気持ちが傾いています。
ところが昨今の不況でアメリカへの留学が非常にきな臭いので不安になっています。
先生が教鞭をとられているミズーリのような歴史も実績もあるような大学に入ることができれば良いのですが……
難易度としてはどのような感じなのでしょうか。
GPAは進振りがあるので3.0程度で、GREですとのgeneralは以前のスコアでVerbal400 Quantitativeは800 subjects mathは恐らく満点近くだと思います。推薦状は平々凡々でしょう。エッセイも添削をしてもらうなどやれることは当然やりますが抜きん出たものが書けるかといえば微妙です。
そもそも数学は修士から論文の出版や国際会議に出席できるような性質の分野ではないので、業績で差別化ができず、書類オンリーで勝負になるので非常に不安である反面、合格の確度が予想しやすいような気がするのですが(例えば例年の合格者はsubjects mathでは何点程度だから満点だと強烈なアピールになるなど です)
このあたりはどうなのでしょうか。
iZRAEさん。
やはり日本では指導教官の変更は難しいのですね。こういったあたりは本当に「悪い意味で日本的」と感じます。
ところで、アメリカの大学院の入学審査に関してですが(主に学部時代の)数学の上級レベルの授業の成績とそれらの授業を担当した教員からの推薦状が大きなウエイトを占め、GREのスコアーはそれほど重用しされない大学院が多いように思います。もちろん、各大学院によっても異なるとは思いますが。
これは個人的な感覚なのですが、一言で言えば、まともな数学者であればGREの「くだらなさ」をきちんと分かっているからのように思います。
ただ、日本の大学での授業の成績がアメリカでどのように受け止められるのかはいまいち分からないとも実情です。というのも、やはり、日本から数学でアメリカの大学院にアプライする人の絶対数が少ないからです。
それから、現在のアメリカの経済状況などはあまり考えない方が良いのでは無いかと思います。というのも、もし仮にこれからアメリカの大学院に出願するとしても、Ph.Dをとり終わり職探しを始めるまであと最低でも5年間はかかると思います。そんな先の景気のことなんて誰にも予測できませんから。
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