2014年4月8日火曜日

STAP細胞論文に思う事〜その3〜

現在、これを書いているまさにその瞬間、小保方さんが記者会見を行っている。私に言わせれば、彼女は謝らなければいけないようなことは何一つしていないのだが、こういうニュースを耳にすると「日本社会というのは住みづらい場所だなぁ〜」と思ったりもする。

ところで、話が多少古くなってしまったが、今回は博士論文のことを少し書く事にする。

小保方さんの博士論文の第一章がコピペだった、という事実が発覚した問題である。どっかの暇な人によるとこんな感じである。

で、この話をする前にまず知っておかなければならないことは「博士論文はいわゆる"self-contained"に仕上げなければならないというある種のルールがある」ということである。これは国によって異なりうるし、また同じ国でも大学や分野、さらには同じ分野内でも各指導教官によっても異なるのだが、やはり、このルールを適応している所が多いようである。

これはどういう意味であるかと言えば、博士論文の場合、雑誌等に投稿する論文とは異なり、その分野の研究者だけではなく、それよりも遥かに広い読者層でも分かるように書かなければないということである。そのために、基礎となる知識やバックグランド、既知の理論やその研究の歴史や意義など、その分野の研究者であれば誰でも知っているようなものも博士論文の一部(通常は第一章とか)に書き入れる風習がある。つまり、博士論文がそれ自体(self)で全て含まれる(contained)という形式になるのだ。

理由は教育的なものと形式的なものがあると私は考えている。

ところが、自然科学や数学の場合、このような既知の理論やバックグランドなんて、誰が書いたって、まぁ語彙や言い回しこそ異なれ、その内容なんて同じものにならざるを得ないのである。当たり前である。科学理論は思想や文学とは異なるからである。

そのため博士論文の第一章なんて、その道のプロが見れば「こんなのどの教科書見たって書いてあるよ」とか「こんなの誰でも知ってるよ」とか思うような内容になるのが普通であり、言ってみれば「表紙の一部」みたいなもので、そこに書いてあることなんて誰も気にしないものなのだ。

で、小保方さんの場合、その「表紙の一部」がコピペだった、ということに過ぎないのである。まぁ、少しぐらい手を加えて自分の言葉で書き直すぐらいの事をしても良かったのかもしれないないが、単純に面倒だったのでしょう。いや、考え方によっては、そんなことに時間やエネルギーを使うよりも、第一章なんてコピペして時間を節約した小保方さんはむしろ研究者として素質があるようにも思える。


結局、この博士論文のコピペ問題なんて、この程度の事なのである。


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1 件のコメント:

あずぴか さんのコメント...

ふーん、博士論文は世の人々が読んで分かる様に書かれてるものなんだ〜。そういうのもっと世の中に知らせてあげて〜。(^人^)
今もテレビでは昨日の会見の話で持ちきりだけど、STAP細胞の有無ではなく彼女の言動や態度に注目が集まっちゃってるみたいで…これも一種の報道側の捏造?(。-_-。)
理研が特許取得とか金儲けに力を入れてるからややこしいコトになってるのかな〜なんて思っちゃう。もっと研究する人達が保証されるといいんだけどね。って働く人全員に大事な問題かぁ(^ ^)